アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1340【判決】㊴

                     狭山事件第二審・判決㊴】

                                 (死斑について)

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   所論は、五十嵐、上田両鑑定によると、死体の背面には明らかに死斑が存在するが、被告人のいう死体処理の方法では、このような死斑は生じない、上田鑑定は一般に死斑が生ずるためには死後三時間ないし四時間死体が一定の姿勢を静穏に保つことが必要であるといい、五十嵐鑑定人は当審(第五十四回)において、一旦生じた死斑が、その後の死体の体位転換によって消失せずに残存するためには、四時間ないし六時間以上の時間の経過が必要であるといっており、したがって本件の死体は少なくとも三時間以上は仰向けの状態に置かれていたものと推認しなければならない、ところが、被告人の自白によると、死体を仰向けにしたのは殺害直後から芋穴に死体を逆さ吊りにするまでであるといっている、そこで、被告人が芋穴に死体を逆さ吊りにしたのは何時頃であるかを考察すると、殺害時刻を午後四時少し過ぎ頃とし、この時刻を基準にして、その後被告人が取ったという行動時間から計算してみると、およそ午後五時半頃となり、逆に中田家に脅迫状が投げ込まれたとされている午後七時半頃を基準にして芋穴から中田家までの距離、その間被告人が自転車を使用していること、教科書や鞄などを埋没するに要する時間を考慮して計算すると、被告人が芋穴を出発して中田家へ向かった時刻、すなわち死体を芋穴に逆さ吊りにした時刻は遅くとも午後六時半頃となる、いずれにしても死体が仰向けにされていた時間は、一時間半ないし二時間に過ぎず、多めにみてもせいぜい二時間半である、このように被告人の自白による限り、死体を仰向けにした時間は一時間半ないし二時間、あるいは二時間半に過ぎず、死斑が生ずるに必要な三時間ないし四時間、またその後の体位転換によって死斑が消滅せずに残存するに足りる四時間ないし六時間のいずれにも到底及ばないのである。死斑の発現状況と死体処理の状況に関する自白とは明らかに符合しない、ところが検察官は「被告人は原審認定の如く午後三時五十分頃、被害者と出会って山へ連れ込み殺害後、一旦芋穴に死体を(仰向けに)隠し、午後七時三十分頃中田家へ脅迫状を届けての帰り、スコップを盗んで午後九時頃農道に穴を掘って、死体を(うつ伏せに)埋め直しているのであるから、死体の体位転換を行なった時間に徴して、死斑の状況と死体処理の方法とは一致し、被告人の自白に何らの客観的事実との矛盾はない」(昭和四十七年五月十日付意見書)と主張するが、これは死体の仰向けの時間を、殺害直後から農道に埋没するまでと大幅に延長する誤魔化しの議論であるばかりでなく、被告人の自白による限り死体は芋穴の中で逆さ吊りになっていたかも知れないが、仰向けの状態でなかったことは明らかなことであるし、死体が芋穴の中で仰向けの状態になっていたと認むべき証拠はないのであるから客観的事実を無視した議論である、最も稀な例として死後一時間ないし二時間程度で死斑が出現することもあり得るとされているが、そのように死後短時間に生じた死斑はその後の体位の転換によって容易に消滅するのであるから、本件の死体のように、仰向けから逆さ吊りされ、更にうつ伏せに埋没されるなど激しく変動を加えられた場合には、例え一度現われた死斑も容易く消滅してしまうに違いない、なお、五十嵐鑑定人も当審(第五十四回)において、本件の死体はうつ伏せに埋没される以前、かなり長い間仰向けに置かれていたのではなかろうかとの意見を述べている、以上のとおり、死斑の状況は明らかに被告人の自白と一致せず、ここでもまた被告人の自白が本事件の真相を述べたものでなく、その虚偽性は明白であるというのである。

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   まず、五十嵐、上田両鑑定によれば、死体の背部に死斑が存することは明らかな事実である。そして被告人は、芋穴に吊るすまで死体を仰向けの状態にして置いたといっていること、死体を芋穴に吊るした時刻は、殺害時刻や脅迫状を中田家へ届けた時刻を基準とすればおおよそ午後六時半頃とみるのが相当で、したがってこの間、死体を仰向けの状態にして置いた時間はおおよそ一時間半ないし二時間半となり、この時間経過は右の鑑定人らがいう一般に死斑が生ずるために要する三時間ないし四時間や、一旦生じた死斑がその後の死体の体位転換によって消失することなく残存するために要する四時間ないし六時間のいずれにも及ばない短い時間であることは、所論のとおりである。

   しかし、検察官がいうように、芋穴の中で死体が仰向けの状態であったとすれば、殺害時刻を午後四時半頃とみて、原判示のように午後九時頃農道に掘った穴に死体をうつ伏せに埋め直した時まで約四時間半くらい仰向けの状態であったことになり、死斑の状況と被告人のいう死体処理の方法とは一致することになる。

   そこで、死体が果たして芋穴の中でどのような状態であったかを検討するに、まず、被告人の捜査段階における供述をみると、「女の死体が芋穴の底に着いていたか、ぶら下がっていたか判然しません・・・」(六・二五検 原調書第一回)とか、「善枝ちゃんの頭が穴ぐらの底の地面に着いていたかも知れないけれども足は殆ど真上にあって、善枝ちゃんの身体は逆さになって頭が下に足が天井を向いていたと思います」(六・二八員 青木調書)とか、「吊るした縄は芋穴の口の角の所にくっつけて少しずらしたので割り合い楽に降ろすことができました。ゆわえつけた縄の端は少ししか余っていませんでした。結び方は縄を一回桑の木に廻し、一回結んで更にもう一回結びました。そうしてその縄の端が約二十糎くらい残っていた様でした。桑の木に結んだ縄はたるんでおらず、張っておりましたが、善枝ちゃんの身体が穴の中に宙に下がっている様な強い力で下から引っ張っている張り方ではなく比較的ゆるやかな引っ張り状況でしたので穴深さはどのくらいか判りませんでしたが、善枝ちゃんの体の頭からお尻くらい迄は穴の底に着いている状況ではなかったかと思います。吊るした縄は四角い穴の桑の木に近い方の角のところから下げておきました。その芋穴にはコンクリで造った二枚の蓋がありましたが・・・・・」(七・一検 原調書第二回)とか、「芋穴から引き上げるとき、死体が穴の底に着いていたか、それともぶら下がっていたか、どうもはっきりしません」(七・六検 河本調書)とか、「善枝ちゃんを穴倉から引き上げるときは、善枝ちゃんの体は穴倉の底にある程度着いていたのではないかと思います」(七・八検 原調書)などと言い、その供述は一定しておらず、被告人が芋穴の中で死体が果たしてどのような状態になっていたのか、はっきり記憶していないものと考えられる。

   そこで、芋穴の深さ、芋穴の近くの桑の木と芋穴との間の距離、荒縄や足首に巻かれていた木綿細引紐の長さなどから、死体が芋穴の中でどのような状態であったかを推認することとする。

(続く)