【狭山事件第二審・判決㉞】
(腕時計について)
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(二) 進んで、所論がいうように捜査当局において腕時計についても鞄類や万年筆の発見経過におけると同様のトリックを用いた事実があるかどうかについて考察する。
確かに、七、八名の捜索員が六月二十九、三十日の両日にわたり、被告人が書いた図面を持って被告人の指示した三叉路附近をくまなく捜索しても本件腕時計を発見し得なかったにも関わらず、その後間もない七月二日に小川松五郎によって、被告人が捨てたという地点から約七・五米離れた道路脇の茶株の根元から発見されたことは、一見不思議であると考えられないわけではない。
しかし、七・二員 小島朝政作成の捜索差押調書及び当審第七回検証調書をみると、茶株の周辺には茶の枯葉などが沢山あって、よほど注意深く捜さないと見落としてしまうような場所であることがわかる。そして、捜索に携わった証人=飯野源治(第二十五・五十回)、同=石原安儀(第四十八回)、同=梅沢茂(第四十五・四十八回)、同=鈴木章(第四十六回)の当審供述及びこの捜索を指揮し、捜索差押調書を作成した員 小島朝政の当審(第五十五回)証言によれば、同人らは、被告人が捨てたという場所が道路上であるうえ、相当日にちが経過していることから、通行人の誰かが拾ったかも知れない、あるいは自動車などが道路脇へ跳ね飛ばしたかも知れないなどと考えながら、拾得者がないかと附近の聞込みをするとともに、現場を丁寧に捜索したことが窺われる(もっとも、小川松五郎方には聞込みに行かなかったようであるが、同人は内田方の下屋を借りて住んでいたために捜索員らが同人のことに気付かなかったからであって、他意があって殊更同人方へ行かなかったものとは考えられない)。また、捜索員が捜索に当たって故意に手抜きをした節は見いだせない。多数の捜索員が二日がかりで捜索をして見落としてしまったことは徹底した捜索をしなかったものとして非難を免れないにしても、殊更捜索員が茶株の根元を捜さなかったとは考えられない。まして、捜査当局において事前に何らかの方法で本件腕時計を入手していて、それを茶株の根元へ差し置いたと推測すべき事情は全く見いだすことができない。
次に、所論が援用する小川とらの証言(昭和四十七年八月十五日の証人尋問の際の供述、石田、宇津両弁護人の同人に対する質問応答を録取した録音テープ一巻を含む)によれば、同人は小川松五郎の義姉で、本事件当時病弱な松五郎の身の回りの世話をするため松五郎方を時折り訪ねていたものであるが、松五郎が散歩の途中、偶然腕時計を発見拾得して警察へ届け、礼金を貰い受けたことを聞いたことや、警察官が松五郎方を訪ねて話をしていた時お茶を出したことが窺われないわけではない。しかし、同人は、右の両事実は雷雨があったころと言っているがその前後もはっきりとは記憶していないし、警察官と松五郎との話の内容も知らないというのである。したがって、同人の証言をもってしては、原判決挙示の小川松五郎の検調書の信憑性を疑わしいとみることはできない。まして、捜査当局において小川松五郎と相謀り、あらかじめそこに差し置いてあった本件の腕時計を同人に拾わせたというような事実を推測させる状況は全く見いだすことができない。
なお、被告人は当審において、「五十子の手拭いで善枝ちゃんの手だか頭を縛ってあったらしいので、その手拭いを出した五十子米屋の近所だと思ってその近くに捨てたと言ったのです」(第四回)とか、弁護人の「あなたの自白調書をみると、五月十一日ごろに時計を田中に捨てたという供述がありますが、時計を田中に捨てたというようになったのはどういうことからですか」との質問に対し、「それは、親父なんかと五月九日か十日かどっちか日にちははっきり分かりませんが、水村さん方に仕事に行ったです。そうしたら親父が石田豚屋の義男が警察に連れて行かれたそうだが、お前は何もしていないかと言ったのです。当時石田にいるとき材木を盗んだことなんかやったから、やっていないとは言わなかったですが、ただ何でもないよと言ったです。親父は本当に何でもないかと言ったので、本当に何でもないと言って、それで義男が連れて行かれたかどうかと思って次の日の新聞を買いに行ったです。だから、十一日だと思えば新聞を買いに行った日が多分十一日だと思います。・・・・・・おれの友達の家の朝日新聞で、郵便局の坂を降りて行くとすぐのところです。そこのおれの友達が、そこに買いに行ったことは認めてくれたですけど、警察に捕まってですよ、峯の方に自転車のタイヤをちょくちょく取り替えに行っていたそこの家の人が十一日の日にその辺でおれを見たと警察に言ったらしいのです」と供述し、「狭山にいる時にそういうことを警察官から言われたので自白するようになってから時計を田中に捨てたと言うようになったということですか」との質問に対し、「そうです」 などと供述しており、被告人が五月十一日ころ田中の三叉路に本件の腕時計を捨てたと自供したのは、取調べ中に警察官から種々誘導されたためであるというのであるが、特定の三叉路に捨てたという事実は到底誘導のしようもないことである。のみならず、被告人は原審(第七回)において「腕時計は風呂場の入口の鴨居の上に置いておいたが、五月十日か十一日ころ、はっきりわからないけれども田中の五十子米屋の近くの道路上に捨てた」と供述しているのである。この点に関する被告人の当審供述は信用できない。
以上これを要するに、被告人の供述に基づいて被告人が捨てたという地点の近くから本件腕時計が発見されたことに疑いはなく、腕時計の発見経緯について捜査当局の作為が介在したことを推測される状況は見いだすことができない。そして、当審における事実の取調べの結果に徴しても、原判決の「腕時計の発見経過について」の項において説示するところは大要において首肯することができ、また、原判決が「被告人の自白に基づき被告人が自白した地点の近くから本件腕時計が発見されていること」を自白を補強する情況証拠に挙げているのもまことに相当である。殊に被害者から奪取した所持品の処分の如きはまさに犯人のみが知り得る事実であるから、被告人が犯人であることを強力に物語る情況証拠であるといわなければならない。この点に関する所論は根拠を欠き、単なる憶測の域を出ないと言わざるを得ない。それゆえ、論旨は理由がない。
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◯判決文にある腕時計を捨てた場所とされる"田中"であるが、これは狭山市内の地名である。

ところで、石川被告が無実を主張した二審では、腕時計が発見されたとされている七月二日の四日前に、他ならぬその腕時計を取調官らが石川被告に見せ、石川被告もそれを自分の腕にはめてみて、「善枝ちゃんは案外腕が太かったんだ」などと取調官たちと談笑したと被告自身が法廷で陳述している。これはあらかじめ証拠物を当局が押さえていたということであろうか。だがしかし、仮にそうだとしても、一体どういった手段によって入手したのか、謎は深まるばかりである。