写真は被害者のものとされている万年筆。

【狭山事件第二審・判決㉛】
(万年筆について)
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(所論が指摘する被告人の家族の当審(第十六回)各証言の検討の続き)
父=富造は、「万年筆が台所の方から出たことは知っている。警察官はうちの中を探さずに、てんがけそこへ行って、六造に『ここにあるから出せ』と言って六造に万年筆を取り出させた」と述べている(「てんがけ」とは、最初にとか、いきなりとかいう意味の方言である)。
母=リイは、「関さんが家の中に上がってきたことが一回あるが、その日にちは覚えていない。関さんはいつもは玄関から入ってくるが、上がり口に掛けたことも、お茶を飲んだりしたこともなく、いつも立って話をした。関さんはおせんべいを持って行ってやるとか、下着を持って行ってやるとか、そう言ってくれた。その日風呂場で洗濯していると、関さんに『おはようございます』と声をかけられたが、どなたかと思って返事をしなかったら、『お母さんですか』と言うので、はいと返事をした。風呂場の前の外から『お母さん、一雄君が下着が欲しいって言うから貰いにきた』と言ってくれたので、『あれまあ誰もいないで困っちゃったね』と私がそう言って、で上がらしてもらうということで上がった。それで私が六造を四帖半に起こしにいった。そのとき関さんは、風呂場のガラス戸を開けた所の板の間に立っていた。私は六造に『一雄が下着を欲しいっていうんだけど弱ったね』と言って、また風呂場に入って洗濯をしていた。風呂場に入ってから関さんと六造とはなんだか話をしていたようだが、はっきり覚えていない。関さんはすぐ帰ったと思うが、それもはっきりしない。六造はいつも夜眠れないので、朝起きないで、いくども言わなきゃ起きない」と述べている。
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ところで、員 関源三は被告人方の近くに住んでいて、青少年チームの野球のコーチをしてやったりしたことから被告人と知り合いであったところ、被告人が逮捕されてからは、被告人のために家族への連絡、差入れ、下着類の取替えの伝達などの便宜を計り、被告人方を何度も訪れたことは一件記録上に現れているところであるが、同人は当審(第六・五十三回)において、「出勤の途中、下着交換の伝言などのために被告人方に立ち寄ったことがあるが、いつも玄関から訪れていた。勝手場の出入口で伝言したこは一度だけある。それは玄関で声をかけたところ、お母さんが勝手の方に見えたので、そちらへ回って母親と話をしたのである。そのとき家の中へは入っていないし、母親が六造を起こしに行った記憶もなく、六造に会った事実もない」と証言している。また、「六月二十三、四日ころ、証人は被告人の家を訪ねるに当たり万年筆を持って行かなかったか」という弁護人の問いに対して「持っていきません」と答えている。
他方、原審検証調書添付写真(49)(一冊二一三丁)、当審第七回検証調書〔特に添付写真(34)ないし(41)とその説明文、一九冊三三三三丁以下〕によれば、兄=六造が勝手場出入口の鴨居にあるねずみ穴だと言っている穴は、縦二・三糎、横二・五糎、深さ二・三糎の大きさで、その周囲を見てもねずみが嚙って通路とした形跡はなく、しかもその穴の奥は空洞となっていて、ねずみが伝って通るような所でもなく、ねずみ穴であるかどうかは極めて疑わしい。殊に、陸足袋やハンカチで塞ぐ程の大きい穴でもない(ただし、原審検証の際にはぼろ布が詰められていた)。

また、鴨居の高さは床から約一七五・九糎で、万年筆のあったのは鴨居の奥行約八・五糎の位置であるから、背の低い人には見えにくく、人目につき易い所であるとは認められない(なお、検察官は原審検証の際に、万年筆がぼろ切れの下に隠されていたと指示しているけれども、ぼろ切れに隠してあったという証拠はないから右の指示は誤りである)。
なお、証人=関源三の当審(第六回)供述によれば、同人は被告人が浦和拘置所に勾留されていたとき被告人の母親と弟=清に同道して被告人と面接させたが、その際、被告人が母親と清に「関さんが悪いんではない、みんなは関さんのことを悪く言ってはいけない」と話していることが認められ、被告人自身は関源三に対して好意さえ寄せていたことが窺われ、他方当審において取調べた被告人の関源三宛の四〇・七・一八及び四五・四・四手紙(当庁昭和四一年押第二〇号の4のうち)の文面をみると、被告人の家族は、その頃には被告人が関源三と面会することを快く思っていなかったことが窺われる。その他、さきに触れたところであるが、家族の者たちが被告人のため五月一日のアリバイ工作をし、あるいは五十子米屋の手拭いについても作為をした疑いがあり、員 小島朝政の当審証言によれば、第二回目の家宅捜索の際に、家人が捜索員を罵倒したことも認められる。
叙上の諸事実を考え合わせると、被告人の家族の前示各証言は、その内容がいかにも不自然で、たやすく信用することができない。これに比べて関源三の証言は十分信用することができる。したがって、関源三が所論のように、捜査官があらかじめ何らかの方法で入手していた本件の万年筆を持参して、被告人方の勝手場入口の鴨居の上に差し置いてきたなどということを窺わせるものは何もないというべきである。
なお所論は、五月二十三日の第一回の捜索は午前四時四十五分から十四時間余の長時間にわたって行なわれたのに、万年筆が発見されなかったのは不自然であるというのであるが、五・二三員 小島朝政作成の捜索差押調書によれば、右捜索は午前四時四十五分から午前七時二分までの二時間余であることが明らかである。
要するに、被告人の自供に基づいて万年筆が発見された旨の原判決は、当審における事実の取調べの結果に徴しても肯認することができる。それゆえ、論旨は理由がない。
(続く)