アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1333 【判決】㉜

                    【狭山事件第二審・判決㉜】  

                                (腕時計について)

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   所論は、本件腕時計の側番号が、捜査当局によって出された品触れの側番号と異なっていることや、被告人が六月二十四日に腕時計を捨てたと自供して図面まで提出しているのに捜査当局が直ちに捜索を行なわずに五日後の同月二十九日ころになって捜索に着手したことなど、本件腕時計の発見経過については疑惑があり、それが自白の真実性を脅(おびや)かしている、時計を捨てた場所を図面に書いたのは六月二十四日ではない、小川松五郎が時計を発見した七月二日よりも前に既に被告人は取調官に本件の腕時計を見せられて、腕にはめてみた、また、捜査官が二日間にわたって多数で被告人の書いた図面を見ながら探して見つからなかったのに、七月二日小川老人が被告人の自供した場所からわずか七メートル余り隔てた茶株の下で発見したというのは、あまりにも都合のよい話である、これらの事情を考え合わせると捜査当局は、被告人が時計を捨てた場所の地図を書いたり小川老人が「発見」する前に、既に何らかの方法で本件腕時計を入手していて、無理に被告人に時計を捨てた場所の地図を書かせた上、その附近で聞込みをしたり、捜索をしたようなふりをして、まだ時計が発見できないような雰囲気を作出し、そこで被告人の捨てたという場所附近に腕時計を差し置き、小川老人と通謀(注:1)して同人に発見させるという手の込んだ工作をした疑いがあるというのである。

   そして被告人は、当審(第二六回)において、「時計を捨てた場所の地図を書いたのは六月二十七日ころで、次の日の夕方時計を見せられたと思う。地図を書いた日を特に覚えているのは、雨がずいぶん降ってきた日の夕方から雷がものすごく鳴ってきて取調室に雨が漏るので、弁護士と面会する部屋に移ったことがあるが、そういうことがあった日の翌日時計を見せられ、その時計を自分の腕にはめてみた」と供述し、当審(第七回)において被告人は、その取調べに当たった員 青木一夫証人に対して「時計のことですが、時計を示した時、まだ見つかっていない時ですね、書くのに青木さんの金張りの時計を見せてもらって型は判らないから書いたと思うけどね」と発問し(この問に対して青木証人は「私の時計は金張りじゃなく、その当時からこの銀張りの時計である」と答えている)、また、「善枝ちゃんの時計が出てきて、その日か次の日かに私に時計を見せた記憶はないか」と発問し、更に「それで、結局俺の手にはめてみたら、ぴったりだったんでね、だから俺が、善枝ちゃんも案外腕が太いな、俺の腕にぴったり合うじゃないか、そうしたら遠藤さんが合うわけだお前が殺したんだものと言ったので、なんでもいいから俺は刑務所へ行って野球やりたいから早く出して下さいと言ったら、長谷部さんがそこは大丈夫だ、石川、俺に任しておけよと言ったことを記憶しておりますか」と発問し、「じゃ、善枝ちゃんの時計は俺がはめてみれば四つ目の穴だからね、俺今でも記憶しておるからね、・・・・・・だから俺腕にはめてみたらぴったり合ったわけだね、四つ目の穴がね、そこで長谷部さんが以前登美恵さんがはめていたので穴が足りないので一つ開けたので、ちょうど石川と合うじゃないかと長谷部さんが言ったですね、だから買った時計より一つ余計穴が開けてあるわけだね」と発問し、当審(第九回)において被告人は、その取調べに当たった員 長谷部梅吉証人に対して、「時計のことについて尋ねるが、時計の件は六月二十六、七日ころの木曜日に取調べを受けたときに図面を書いたと記憶している。その時の取調官が誰か今覚えていないが、善枝ちゃんの腕時計をどこへ捨てたというので、俺が田無の質屋に入れたといったら、我々はとっくに調べてある、黙っていたってわかっているんだ、どこへ捨てたというのかと言うので、田中へ捨てたといって図面を書いたら、その翌日知らない刑事が証人のところへ来て、課長、時計が見つかりましたといって時計を出した、そのとき俺が、それでは見せてくれてといってその時計を手にとり、これが善枝ちゃんの腕時計ですかといって自分の腕にはめてみたらぴったり合ったので、善枝ちゃんは案外腕が太かったんだといったら、傍にいた遠藤さんが、石川が殺したのではないか、殺した本人が知らないなんていうと笑われるぞといって皆で笑ったことがあったが、そういうことを覚えているか」と発問し、「時計を持ってきたのは夕方ではなかったか、俺が図面を書いた夕方であるが覚えているか」とか、「その日は晴れた日ということは、その日検事の取調べ中、俺は糞をしてしまったので、検事が帰ってから遠藤さんにその話をしたら、同人は今日は晴れているから洗濯してしまえ、そうすればうちにわからないだろうと言ったが、俺は洗濯なんかしたことがないから、かまわずうちへ届けてくれと言った、そういうことで、その日が晴れた日で六月二十八日であったということをはっきり記憶しており、そしてその日に時計を持ってきたので自分の腕にはめてみたのであるが記憶ないか」(この問に対し長谷部証人は記憶がないと答えている)と発問して、所論を裏付けるように、時計を捨てた場所を図面に書いたのは六月二十四日ではなく六月二十七、八日ころであり、またその翌日の夕方、腕時計を見せられていると主張し、その日の天候やその際の具体的状況を挙げてこのことに間違いはないというのである。

 

(一) そこで考えてみるに、まず、六・二四員 青木調書(第三回)添付の時計を捨てた場所を説明している図面(七冊二〇七五丁)の被告人自書の日付をみると、いかにも所論がいうように「6月29日」と読めないわけではない。しかし、同調書添付の時計の略図(二〇七四丁)や同日付の員 青木調書(第一回)添付の佐野屋までの道筋を被告人が書いた図面(二〇六〇丁)の各日付の数字を仔細に比照してみると、二〇七五丁の図面日付も「6月24日」であることがわかる。すなわち、数字の「4」の筆法が三通とも共通であること、これと六・二九員 青木調書に添付されている図面(二一五〇丁)及び当審において捜査の経過を明らかにする趣旨で取調べられた五・二七員 清水利一調書に添付されている図面(一六冊二七二一丁)の被告人自筆の数字「9」の筆法とを比較検討すれば、このことは明らかである。

(続く)

注:1「通謀(つうぼう)」=二人以上の者が"ぐる"になり、示し合わせて事をたくらむこと。共謀。

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   ◯一枚目の写真は時計を捨てた場所を説明している図面(2075丁)。書かれた日付は明らかに「6月29日」ではなかろうか。


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   二枚目の写真は時腕時計の略図が書かれた図面(2074丁)。日付は「6月24日」。


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   三枚目の写真は佐野屋への道筋が書かれた図面(2060丁)。日付は「6月29日」であり、見比べるまでもなく「9」と「4」とは判別できる。


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   一枚目の写真「2075丁」の図面日付「29日」が、一体なぜ「24日」であると判断されたのか、ちょっと何を言っているのかよく分からない。