【狭山事件第二審・判決㉕】
(手拭い・タオルについて)
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所論は、原判決は自白の真実性を補強するものとして「被害者=善枝を目隠しするのに使われたタオル一枚につき被告人は入手可能の地位にあったこと」を挙げているが、このタオルと死体が発掘されたとき後ろ手に両手首を縛りつけていた手拭いの入手経路は共に明らかではない、右タオルは東京都江東区所在の月島食品工業株式会社が昭和三十四年から三十七年までの間に得意先に配布した八千四百三十四本のうちの一本である、そして月島食品と被告人が勤務したことのある東鳩製菓保谷工場との間に取引があること、配布されたタオルを野球部員に配ったこと、被告人が野球部員であったことには一応の証明がある、しかし、被告人がタオルを貰ってこれを自宅へ持ち帰ったかどうか、母親に渡したかどうか、自宅へ持ち帰ったとしてもそのタオルが五月一日の朝まで被告人宅に存在していたかどうか、そしてそれが同日朝、風呂場に掛けられてあったかどうか、これらの事実は全く証明されていない、しかも狭山市内にもこのタオルと同種のタオルが出回っていたことは確実であり、多数の人が同種のタオルを手に入れる可能性を持っているのである。
次に、手拭いは狭山市田中にある五十子米屋が昭和三十八年正月、年賀用として得意先百六十軒に配布した百六十五本(五軒には二本ずつ)のうちの一本である。警察では被告人宅からの一本を含めて百五十五本を回収し、使用中のため回収しなかった三本を除き残る七軒、七本に捜査の対象を絞った、ところが警察では被告人宅から右一本の手拭いが提出されたので、本事件後、被告人の家人の誰かが親戚に当たる石川仙吉方(二本配られたうちの一本は提出済み)若しくは隣家の水村しも方から都合をつけたか又は本事件前石川仙吉方か水村しも方の誰かが被告人方に置き忘れて被告人方には当時二本の手拭いがあったものと推測せざるを得なかったのである、しかし、それも単なる推測であって、証明ではない、被告人が当日の朝、本件手拭いを自宅から持ち出した事実も自白があるだけであって何の裏付けもない、手拭いやタオルについて単に入手可能性があるということだけで被告人を犯人と断定することは許されないというのである。
そこで考えてみると、さきに述べたように捜査当局は死体が手拭いで両手を後ろ手に縛られ、タオルで目隠しされていたことから、手拭い、タオルの出所について捜査をし、手拭いは五十子米屋が昭和三十八年正月、年賀用として百六十軒の得意先に配布した百六十五本中の一本であり、タオルは月島食品工業株式会社が昭和三十四年から三十七年までの間に得意先に配布した八千四百三十四本のうちの一本であることを突き止め、その配布経路を追及し、第二次逮捕の頃にはほぼ被告人方にも手拭い・タオルが存在していたことに確信を持っていたことが窺われる。そして、原審(第五回)における東鳩製菓株式会社保谷工場長=佐藤祐一の証言によれば、タオルは月島食品からその得意先である東鳩製菓が貰い受けて、これを野球大会の際の賞品として選手に贈ったことが認められ、当時選手をしていた被告人もこれを貰ったのではないかと考えられる。また、当審(第十四回)における滝沢直人検事の証言によれば、手拭いは五十子米屋から被告人方へ一本配布されたが、警察では被告人方から一本回収した、ところが被告人の姉婿=石川仙吉は五十子米屋から二本配布を受けたのに一本しか貰わないと主張し、被告人方の隣家の水村しもは五十子米屋から貰っていないと主張したので、被告人方で石川仙吉方か水村しも方から都合をつけて警察へ提出したか、五月一日以前にどちらかの手拭いが偶然被告人方へ紛れ込んでいたかのどちらかであると推測したというのである。
ところで、被告人が家人と相謀って(注:1)五月一日のアリバイ工作をした事実があること、家人も、関源三警察官が万年筆をあらかじめ勝手出入口の鴨居の上に置いておき、そこから万年筆が発見されるような工作をしたと主張していることなどを考え合わせると(後出その九参照)、手拭いについても家人が工作した疑いが濃い。被告人が五十子米屋の手拭いを入手し得る立場にあったことを否定する事情は認められない。
しかも、被告人は捜査段階及び原審(第十回)において、手拭いやタオルの出所については何も供述していないが、現物を示されて、五月一日朝出がけに手拭いは母親から手渡され汗ふき用に折りたたんでズボンのポケットに入れ、タオルは自分で風呂場の針金に掛けてあったものを取って、ジャンパーの襟の下にぼろ隠しとして使ったと供述しているのである。
してみれば、原判決が「被害者=善枝を目隠しするのに使われたタオル一枚につき被告人は入手可能の地位にあったこと」を自白の真実性を補強する情況証拠の一つに挙げているのはまことに相当であり、更に当審における事実の取調べの結果によって、被害者=善枝の両手を後ろ手に縛るのに使われた手拭い一枚も五月一日の朝、被告人方にあったと認めて差し支えなく、したがってこれも自白を離れた情況証拠の一つとして挙げるのが相当である。それゆえ、論旨は理由がない。
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注:1「相謀って(あいはかって)」=共に相談する。企てる。
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◯寺尾裁判長は非常に強引な論法でこの裁判の判決を無期懲役へと押しすすめていたことがよくわかる。上記の判決文に「被告人が家人と相謀って五月一日のアリバイ工作をした事実があること」とあるが、これは石川被告が五月一日、母=リイに仕事に行くと嘘をつき所沢市の西武園などでサボっていたが、やがて午後に地元へ戻るも、この嘘がバレてはいけないことから、人目を避け気味に夕刻まで時間を潰したという事情があり、狭山事件発生後にこれを知った父=富造は一雄に、面倒ごとに巻き込まれぬよう、もし警察に聞かれたら「兄と一緒に働いていたと言っておけ」と言ったというのがこの話の実態である。これを「家人らとアリバイ工作をした」と解釈するところに寺尾判決の怖さがある。
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◯先日、高円寺の西部古書会館で入手した数冊の古本の中の一冊である「捜査のこつと犯罪事実の書き方」(カバー・帯なし)は二百円であった。

昭和時代の事件を愛する者としては、本のタイトルと共に、著者が本書を発刊した当時、現役の検察官であったことに著しい反応を示してしまい、つい購入してしまった。今やこのような古書をブックオフで見つけることは不可能であり、街の古本屋においても全く扱われてはいない、無視された分野のものである。この路線を追求する身としては先々の展開が危ぶまれるが、虎視眈々とそこは目を配り探索を継続していきたいものである。