アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1325 【判決】㉔

                   【狭山事件第二審・判決㉔】

                               (血液型について)

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   所論は、被害者=中田善枝の膣内に存した精液の血液型はB型であり、被告人の血液型もB型であるからといって、直ちに被告人が犯人であるとは断定できない、殊に被告人の血液型を鑑定するに当たっては分泌型か非分泌型かの鑑定をしていないところ、原審証人=渡辺孚は、唾液による検査でB型と出た場合にも分泌型と断定することはできないといっている、また、六・二一員 清水利一作成の捜査報告書中には、被告人以外の者についても血液型の検査が行なわれ、その結果が記載されているけれども、その検査方法は全く不明である、要するに、これまでに現われた証拠をもっては、被告人が犯人であるという情況証拠とはなし難いというのである。

   そこで考えてみると、原判決の掲げる五十嵐勝爾作成の鑑定書によれば、中田善枝の膣内から採取した精液の血液型はB型(分泌型あるいは排出型)であり、そして被害者の血液型はO・MN型であるから、被害者を姦淫した犯人はB型(分泌型)の血液型であることは明らかである。ところで、原判決が掲げる渡辺孚ほか三名共同作成の鑑定書によれば、被告人の煙草の吸殻と唾液とによってその血液型を鑑定したところ、B型であることが判明したことも明らかである。

   してみれば、被告人の血液型がB型(分泌型)で、被害者の膣内に残された精液がB型であるということは、両者の血液型が同一であることに相違はなく、原判決が「5.被告人の血液型はB型で、被害者=善枝の膣内に存した精液の血液型と一致すること」が被告人の自白の信憑力を補強する事実であるばかりでなく、自白を離れても認めることができ、且つ、他の情況証拠と相関連しその信憑力を補強し合う有力な情況証拠であると認定したのは、当裁判所としても肯認することができる。

   なお、当審における事実の取調べとして、鑑定人=上野正吉は、直接被告人の血液及び唾液によりその血液型をB・MN型(分泌型あるいは排出型)と判定している(昭和四十二年五月二十日付鑑定書)。

   また、当審で取調べた八・二九警察技師=松田勝作成の「血液型の鑑定・検査結果について」と題する報告書によれば、石田豚屋関係者二十一名について、五月十六日から同月二十三日にかけて血液型の検査が行なわれた、被告人について五月二十二日に行なった煙草吸殻による検査ではB型かAB型か判断困難でB型の可能性が大きいということであり、翌二十三日に行なった唾液による検査ではB型であったこと、被告人以外にはB型の血液型の者が一人もいなかったことが認められる。

   さらに遡(さかのぼ)れば、小川簡易裁判官=瀬尾圭一が本件強盗強姦殺人・死体遺棄被疑事件について発付した逮捕状に添付された逮捕状請求書をみると、「被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由」があることの資料中に「被疑者血液型干係一冊」があったことが認められるが、その内容は前記松田勝が五月十六日から同月二十三日にかけて行なった血液型の検査結果と同一であったと推認するに難くない。

   次に、証人=将田政二(第一二回)及び同=原正(第一七回)の当審各供述によると、捜査官は、被害者の膣内に残された精液の血液型がB型であることを重視していたところ、石田豚屋で五月一日の夜盗まれたスコップが五月十一日に死体発見現場付近で発見されたことから、石田豚屋の従業員や出入り業者に捜査の網を絞り、それらの者の筆跡・血液型・アリバイなどを捜査した結果、被告人に嫌疑をかけるに至ったもので、その経過は極めて自然であると考えられる。また、その過程において、被告人は、豚屋の経営者=石田一義から血液型を尋ねられて自分の血液型は一応B型であると思っているのに、A型であるとか、新聞などで報道されている犯人の血液型とは違うとかと答え、五月一日の行動については兄=六造の鳶職の手伝いをしていたのであるから自分は大丈夫だなどと嘘の答えをしたことがそれぞれ認められる(その詳細については、証人=石田一義の当審第十五回供述、被告人の当審第二十七・六十六回供述、当審において捜査の経緯を明らかにする趣旨で取調べられた被告人の六・九検 原調書を各参照)。

   以上を要するに、原判決が被告人の血液型と被害者の膣内に残された精液による血液型とが同一であることを、有力な情況証拠としている点は、当審における事実の取調べの結果によって一層その正当性を肯認することができ、この点に疑問の余地があるとする論旨は理由がない。

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   ◯「肯認」あるいは「推認」という言葉を用い、弁護側のいう論旨は理由がないと判決文は断じているが、これらの言葉は難を逃れる場合には非常に役立つ言葉であるなと感心してしまう。

  さて、先日読み終えた「誤殺 真説福岡誤殺事件」(今井幹雄=著)を再読していたところ、驚くべき記述を見逃していたことに気付く。

   この福岡事件では二名が殺害されているのだが、うち一名は地元で商売を行なっていた中国人の大物ブローカーであり、敗戦から二年目の昭和二十二年という時代背景もあり、本件の判決は裁判所へ押しかけた中国人たちの怒号のなかで下されている。どうやらこの当時、戦勝国民となった中国人らは荒廃の日本国土を我が物顔に闊歩していたらしい。

   以下は老生が飲酒しながら読書したゆえに見逃していた箇所であり、背筋が凍った部分の引用である。

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   「裁判は最初から国辱裁判であった。一審開廷冒頭に裁判長は『本件裁判は、戦勝連合国の中国人民共和国人=翁祖金(おうそきん)氏殺害による強盗殺人事件であるため、連合国司令部より早急に判決を出せとの達しゆえ、結審を急ぐので被疑者は勿論、弁護人も協力されたい』と言っている。

   従って、裁判は一方的に急速にすすめられ、被告人の発言は制約され、裁判長の訊問に反対のことを述べると『こうであろうが、嘘を言うなッ』と、机を叩いて怒鳴られる始末であった。しかも、その裁判長が、被告人が陳述の中で『支那人が』と発言するたびに、『中国人の方がと言えッ』と命令しているのである。

   判決公判には大勢の中国人が法廷に押しかけ、『みんな死刑にしてしまえ』と口々に怒号した。判決を言い渡したあと裁判長は、傍聴席の中国人に向かって『只今お聞きのように、西、石井は死刑、その他の者も最高刑の判決を言い渡しましたから、御不満もあることでしょうが、何卒御了承下さい』と、平身低頭したのである。敗戦直後の国辱裁判はその後に禍根を残した。

   二審(高等裁判)に於いて、終始被告に同情的であった裁判長は、判決直前になって俄かに本件の審理から下されてしまった。東北地方の地裁所長になったのである。後を継いだ裁判長はたった一回の公判に立ち会っただけで、再び彼らに死刑を宣告した。しかもその法廷で『あなたは今、私に強盗罪を付けたが、私が何時強盗をしたのですか』と、石井に逆に訊問され、理詰めで追い詰められて返答に窮した裁判長は、顔面を真赤にして『とにかく、真相は神様だけしか知らんよ。私は神様じゃないんだ。少しくらいの間違いはある』と言ったのである。

   『そんな言い逃れで殺されてたまるかッ。もう一度はっきり、何時、何処で、どうして強盗殺人をしたのか、その証拠を示して判決を出して頂きたい』

   石井は憤然として喰いさがった。

   『君、もう裁判は終わったんだよ。文句は最高裁に言うんだね』

   捨て台詞(せりふ)を残して逃げ出した裁判長の背中に、逆上した石井が怒鳴った。

   『待てッ、逃げるな!』

   『もう言うな、言うても仕方がない』

   西の絶望しきった沈痛な声が石井を制止した。

   だが、これらはすべて公判記録から抹消されている。そして以上はすべて、西、石井両名の控訴趣意書等に基づく古川の『真相究明書』に拠ったものである」

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   本書の概要については七日前くらいにUPした拙ブログ「狭山の黒い闇に触れる」【番外編】に詳しいが、まるで法廷パロディドラマで悪役を演じるがごとき、かような裁判官が実在したことに驚く。いや、ドラマや映画など虚構の世界ですら彼らのような堕ちた人物像は生み出せないだろう。一審を担当した裁判官は押しかけた中国人らの圧力におののき、その軸足を支那人側及びGHQ側へと置き、二審を担当した裁判官もその流れを乱さぬよう真相そっちのけの結審を告げ審理を断つ。被告らにとっては言うなれば絶望という一言に尽きる事案であった。 

   ところでこの裁判の一審か二審において裁判所内には、押し寄せた中国人らの手による中華料理が山となって用意されたとの記載があったと記憶しているのだが、この記述がなかなか見つからないのであった。これはまたしても飲酒しながらの再読が原因であると思われる。

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   ところで、いつのまにか手元には、写真に明らかなとおり、昭和の冤罪事件を扱った古書が集まっている。本来この世にあってはならぬカテゴリーであるはずの「冤罪関係」書籍がこれほど出版されているのは何故か。

   冤罪の原因は誤判、つまり裁判長が下した判決文に誤りがあったことが原因である。したがって・・・・・・と、もっと言いたいところ、本日は十一月三日でありここ埼玉県も"文化の日"を迎え、待ちに待った「入間航空祭」開催日となり、酒とツマミ、古本を鞄に詰め入間川河川敷へ急ぐ。

   基地内は混雑が予想されたので今回は入間川の土手に陣取り、ほろ酔い加減で飛行機を鑑賞する。天候は曇のち晴れであったが、操縦士たちの緻密な飛行の前では天候などは問題にならない。たとえ豪雨であったとしてもその飛行技術には何ら影響を及ぼさないであろう。

今回は基地外航空祭を楽しんだが、気になったことはその周辺に野鳥が比較的多く飛んでおり、いわゆるバードストライクが心配されたことだ。

   画像やや左に、こちらへ向かう飛行機があるが、右側 から左側へと鳥の群れが現われる。

  飛行機の到来を前に、鳥の群れは左側へ通過。

   演目を終えた飛行機は右側へ飛び去った。

   本日はスリリングな時を過ごせ大満足、「素晴らしい」と叫び入間川河川敷より撤収する。