
(スコップが見つかった死体発見現場近くの麦畑)
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【狭山事件第二審・判決㉓】
(地下足袋・足跡について)
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そこで、押収の地下足袋一足(当庁昭和四一年押第二〇号の11、12)を検すると、やはり九文七分で金寿の印があり、甲の部分に穴が開いており、裏のゴムも相当摩耗していかにも古びて見えるけれども、なにぶん発見されるまでに畑の中で麦が立ち腐れするまで相当長期間日光や風雨にさらされていたこと、投棄の方法が異様で証拠隠滅の臭いが感じられることなどからすると、あるいは本件に関係があるのではないかとの疑いがないわけではない。ところが、被告人はこれまで五月一日にはゴム長靴を履いていたと終始供述してきている。しかし、そのことを裏付ける証拠はどこにも見いだすことができない。本件の捜査はこのような初歩的な点で欠陥があることはさきにも指摘したとおりであるが、しかしそうかといって、被告人が五月一日に地下足袋を履いていなかったという確証はどこにも見いだすことができない。むしろ、被告人の当時の職業は鳶職手伝いであること、仕事に行くといって母に弁当をこしらえてもらって出かけたということが仮に真実だとすれば、それまでにも被告人は兄=六造の地下足袋を借りて仕事をしたことがあるというのであるから、五月一日にも兄=六造の古い地下足袋を無断で借用して出かけ、本件兇行に及んだ後帰宅するに際し、泥で汚れた地下足袋を脱ぎ、これを前記の麦畑内に投棄して素足となり、更にスコップを投げ捨ててから帰宅したということも考えられなくはない。
しかしながら、要するに、右地下足袋と「本件」との関係は、結局において不明であるというほかはなく、地下足袋が存在するということから当然に犯人は別人であって被告人ではないということにはならない。
なお、五月十一日にスコップを発見した現場である狭山市入間川旭町⚫️七〇八番地=須田政雄方の畔道付近において同じ日にスコップの近くで採取した足跡については、その石膏型成足跡が明瞭に出ているのであれば犯人割り出しの決め手ともなり得るであろうけれども、なにぶんにも右石膏型成足跡は、足跡が既に風雨等によって変形した後のものと判断され、到底同一性判定の資料にならないので、証拠価値のないものとして廃棄処分されたものと考えられる。この点につき検察官において、当審の最終段階まで故意に証拠の存在を隠していたとは認められない。
以上の次第であるから、右地下足袋と足跡とは、自白を離れて被告人と犯人とを結び付ける客観的証拠の一つであるということができ、原判決がこれを被告人の自白を補強する証拠として挙示したのはまことに相当であって、論旨は理由がない。
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次回、「血液型について」へと進む。
◯佐野屋付近で地下足袋の足跡が発見されたことは事実である。ところがこの地下足袋を着用していた人物が石川被告であったかどうかとなると非常に疑わしいのである。
石川被告の自白にある、畑の中を通り佐野屋へ近づいて行った経路上には何人もの警察官が張り込んでおり、その捜査網に発見されずに身代金受渡し場所へ至り、同じくこの警察官らの目をくぐり抜け逃走することは、自白の経路ではまったく不可能なのである。身代金を受け取りに行ったとされる石川被告の自白は現実の話ではないと言えよう。なお、この佐野屋への経路については検事による現場検証の場で四カ所も経路変更している事実は注目すべきであり、検察官自身も困り果て、どうしようもなく考え込んだ末の変更であったであろうことは想像に難くない。
なお、裁判長は、「(兄の地下足袋を脱ぎ捨て裸足となり更にスコップを投げ捨てたと)考えられなくもない」と述べているが、この「考えられなくもない」という非常に曖昧で不安定な表現を無期懲役の判決文に使用している点は恐ろしい。狭山裁判の判決文には他にも「〜と推認できる」や「推論」などの言葉が確認できるが、これらは手っ取り早く言えば、「犯人は石川一雄であるらしい」「石川が犯人っぽい」「いかにも犯人のようだ」と同義語ではないかと思われるのである。
もう一つ付け加えるならば前述の判決文の文言は、「兄の地下足袋を脱ぎ捨て」「裸足となった」石川被告が「スコップを投げ捨て」とあり、この三つを「考えられなくもない」との言葉で締めくくっているが、いずれも疑惑が疑われる三つの事柄を、非常に腰の引けた表現である「考えられなくもない」という中途半端な言葉で締めているところを見ると、ここに何か裁判長の真実に反する苦渋の選択というか、止むに止まれぬ判断、苦しまぎれに考え出した文章であるように感じるのであるが、どうであろうか。