アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1323 【判決】㉒

                    【狭山事件第二審・判決㉒】

                      (地下足袋・足跡について)

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   次に、その三として所論は、被害者の死体が発見された場所及びスコップが発見された場所付近で地下足袋一足とその足跡とが発見されたことを伝々し、犯人は別人であると主張するので、この点を考えてみるに、まず、佐野屋付近で発見され採取された地下足袋の足跡は五月二日の午後十一時頃から翌三日の午前にかけての問題であるのに対して、死体が発見された場所の付近から発見された地下足袋は五月一日の兇行にかかわる問題であることを明確に区別して認識する必要がある。そもそも、スコップが発見された場所から足跡が発見されたこと及びその方面で地下足袋一足が発見されたという事実から、直ちに犯人は被告人以外の別人であると主張すること自体、それだけでは論理の飛躍であり問題とするに値しないものといわなければならない。弁護人らは五月一日には被告人がゴム長靴を履いていたことを当然自明のように前提するけれども、この点について、被告人の自供を裏付ける確かな証拠は何ら存在しない。被告人は五月一日にも兄=六造の地下足袋を履いていた可能性があることが考えられる。

   さて、当審第七五回公判において取調べられた六・一五員 伊東操 作成の実況見分調書によれば、所論の地下足袋が投棄されていた場所は、狭山市入間川一六九八番地麦畑内で、荒神様(三柱神社)の南方約二〇〇米、西武線入間川駅の東方約三〇〇米、当時建築中の統合中学の西方約六〇〇米の地点で、その南方は約二〇〇米を隔てて新築家屋二、三軒あり、その南方約五〇米の所にエンピ(スコップ)が遺留されていた畑があり、南方やや東寄り約三〇米に旭団地と呼ばれる市営住宅がある、畑の中に行き止まりになった私道があるが、その左側と右側とにそれぞれ左足と右足とが別々に放り込んだように一双の地下足袋がいくらか倒れた麦の上にあった。地面には直接していない状況であった。殊に地下足袋(右足)には泥土が親指と他の指との爪先の割目の上まで一杯詰まっており、両側底にも同様着いており十枚こはぜのもので、立会人=須田林太郎は、この足袋に付いている泥は私方の畑の土とは違いますと指示説明した、足袋は両足とも泥土の乾燥具合等から相当期間放置されてあったものと認められ、こはぜには金寿と銘があった、この地下足袋は被疑者が遺留したものと認められたので領置した、となっている。

   須田林太郎の六・一八員調書によると、同人はこの足袋は職人が履く足袋で中古であったが、そうかといって捨てるような履き古した足袋ではないので不審に思ったが、そのまま足袋の下になっている麦を引いたところ鎌を入れないのに自然にとれたから麦が青いうちに足袋がその上に乗ったので下になった麦が腐ってしまったのかと思った、五月一日の中田善枝の事件に関係があるのではないかと思って駐在所に届け出たのである、この足袋には一寸変わった泥が着いていた、というのは、私方の畑の土のようではなく、赤土のようで、場所によっては違うが穴を掘ったときに出る土のようなものが着いていた、土は普通乾いた土でなく、ぬかるみを歩くと着くような土が足袋の回りや底の部分と、爪先の割目には下から押し出した恰好で固まっており、左側の足袋の内側には麦の重なり合っている中にあったためかカビが生えており、最近捨てたものではなく一ヶ月以上経過しているものと思われた、大きさは大体の感じでは十文くらいと思うと述べている。

   そこで、押収の地下足袋一足(当庁昭和四一年押第二〇号の11、12)を検すると・・・・・・

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   と判決文は続くので、この続きは次回とする。

地下足袋に関しては、惜しむらくは五月一日、石川被告が長靴を履いて出掛けていることを弁護側が客観的に証明できていない点にその問題の根源があろうか。

   昭和三十八年五月一日の朝七時過ぎ、石川被告は母が作った弁当を持ち、仕事に行くといって家を出た。しかし仕事には行かず、西武園の遊園地の山の中で時間をつぶしたり、所沢でパチンコをしたりし、午後二時ころ入間川駅へ戻った。

   仕事に行くという嘘がばれては父親に叱られることから石川被告はさらに夕方まで市内で時間をつぶした。途中、顔見知りの八百屋の倅とすれ違ったり、たばこ屋で「しんせい」一個とマッチ二つを五十円で買いおつりの四円は受け取らなかったりし入間川小学校の月見と呼ばれる場所で休んだ。やがて雨が降り出し、石川被告は入間川駅横の荷小屋に移り雨やどりをする。この間、彼は運動大会から帰る中学生グループや、仕事から帰る途中の石田養豚場のトラックなど目撃していが、時刻が七時を指すころ帰宅した。

(八百屋=写真左端)

(中学生の一団を目撃した場所)

(雨やどりをしていた入間川駅横の荷小屋)

   仕事をさぼっての行動は、彼にやや人目を忍び気味にさせたことは想像に難くないが、それでも午後二時過ぎから七時前後までにこれだけ動いている以上、長靴を履き、空の弁当箱を手にした青年の姿を誰かしら目撃してはいなかっただろうか。今さらながらではあるが、この日に石川被告を目撃した者を探し出せていればなぁ、などと想う・・・。

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   ・・・昨日の土曜日、川越駅ホームの立ち食いそば屋で春菊天ソバを食う。苦美味い春菊の天ぷらを食し、その美味さに意識を失いそうになる。

   顔のまわりに天ぷらソバの香りを残しつつ電車に乗り、新宿駅で降り馬券売場へと向かう。もちろん、これは馬券を買うためである。

十一月一日の京都、メインレース。武豊に千円を託す。

こちらは翌日の十一月二日に行なわれる天皇賞の前日投票として購入した馬券である。武豊ルメールを軸に四頭ほど流す。

   このあと高円寺へ向かい、西部古書会館で開催されている古本市にて数冊の本を買う。

   好みの古本が買えたことに満足し、すみやかに撤収する。