◯佐野屋前での身代金受渡しが不調に終わり、犯人は易々(やすやす)と苦もなく、たやすく逃走を遂げたが、その畑からは四十個以上にわたる地下足袋の足跡が見つかったとされる。五月四日付の当初の鑑識課の報告書では、その足跡の寸法は十文ないし十文半の職人足袋によるものとされた。
ところが、五月二十三日に石川一雄被告が逮捕され、直後に行なわれた家宅捜索の末に押収された地下足袋が九文七分であったことから、警察は現場の足跡は九文七分の石川宅から押収した地下足袋によってできたものとし、その底部の破損痕も一致するという鑑定書を作成し足跡は完全に一致するとしたが、これが非常に疑わしいのである。
他の証拠類の出方にも言えるのだが、本件を考察する際のキーワードとして、「なすりつける」という言葉を念頭に置くと、捜査段階及び裁判の経過やその判決文が驚くほど明快に理解できてしまうのだが、それは何故でしょうか。

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【狭山事件第二審・判決㉑】
(地下足袋・足跡について)
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所論は、右鑑定書の記載によれば、鑑定のための対照足跡を作成するに当たり、警察技師=加藤幸男の分は本件足跡採取現場の土を県警本部鑑識課に運搬し、畑とほぼ同一条件の状態で土を盛り足跡の印象実験を行なったのに、肝心の被告人の分については狭山署において別の土を用いて足跡の印象実験を行なった点を非難し、これを前提として、現場から採取した鑑定資料(一)の石膏型成足跡を前記加藤幸男の対照足跡とすり替え、この足跡が鑑定資料(二)の地下足袋によって印象されたものかどうかを鑑定したものである、要するに足跡を偽造したものであるというのであるけれども、鑑定の経過は右に述べたとおり正当に行なわれていて疑惑を容れる余地は全く存しない。
以上によって、現場足跡の採取経過及び地下足袋の押収手続に疑念をさしはさむ事情を見いだし難く、これらを資料としてなされた鑑定の結果も信用するに足り、証人=岸田政司の当審(第四六・四九回)供述を加えて検討してみても、その間捜査当局の作為ないしは証拠の偽造が行なわれた疑いがあるとの所論は採用の限りでない。
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所論はまた、右3号足跡と前記右足地下足袋とは、弁護人の測定によると、部分によっては一六粍(ミリ)もの差があり、両者は一致しないというのである。
しかし、弁護人の測定方法は3号足跡と右足地下足袋をそれぞれ写真撮影してこれを拡大し、さらにトレーシング・ペーパーに書き写し、対応すると思われる測定基点を定めて測定したというのであるが、弁護人も自認するとおり、どの点を測定基点と定めるかによって大きな誤差が生ずるものであるばかりでなく、写真撮影の方法・引き伸ばしの方法・倍率などによっても少なからず誤差の生ずることは自明のことである。
ところで、昭和四十八年十二月更新弁論における弁論要旨に添付された資料によって弁護人の測定方法を見ると、まず3号足跡と地下足袋の写真撮影に当たり、寸決の割り出しのため同時に定規や三角定規が並べて撮影されているのであるが、これらはセルロイドかプラスチック製のものと思われる。しかし、かかる定規の目盛りが正確に刻まれていないことは往々にしてあることであり、この目盛りを規準にして各部分の長さの測定をしているのは、方法においてすでに誤っていると言わざるを得ない。しかも3号足跡の写真と地下足袋の写真にはそれぞれ異なった定規が写されているのであって、両者の目盛りが一致しているかどうかも確認できないのである。
次に、弁護人が測定対象とした諸点についても、3号足跡及び地下足袋の現物と、前記添付資料中の写真とを対照して検討すれば、測定基点として厳密にそれぞれ対応する点を設定したものとは認め難い(その最も甚だしい例はイ点である)。所論は、3号足跡と地下足袋の間には、最高一六粍もの差が出る箇所があるというのであるが、両者の現物によって所論の指摘するそれぞれの対応箇所を測してみれば、その誤りであることが明らかである。
したがって、弁護人の測定結果を根拠として3号足跡と地下足袋との一致を否定し、前記鑑定書の結論が信用できないとする所論も失当である。その他所論並びに弁護人らの最終弁論に鑑み検討しても、前記鑑定書の結論の信用性に疑いをさしはさむ余地はない。
(続く)