アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1315 【判決】⑭

                     【狭山事件第二審・判決⑭】

                       (事実誤認の主張について)

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   そもそも、刑事裁判において認識の対象としているものは、いうまでもなく人間の行動である。人間の行動は、その感覚や思考や意欲から発生するものであり、その発現の態様は我々自身が日常自らの活動において体験するところと同様である。この一般的な経験則を根底に持っている人間性は同一であるという思考が、過去の事実の正しい認識を可能にする根本原理であって、人が人を裁くことに根拠を与えている刑事裁判の基礎をなすところのものなのである。過去の人間行動(事実)はただ一回演ぜられてしまって観察者の知覚から消え去った後は、記憶の影像としてのみ残るに過ぎない。しかも、その観察者の知覚・表象・判断・推論を条件付ける精神過程は極めて区々(注:1)である上に、先にも触れたように、人間は意識的・無意識的に自己の行動を潤色し正当化しようとするものであることをも考え合わせると、このような不確実と思われる資料(証人や被告人の供述など)を基礎として、確実な認識を獲得することはなかなか困難な作業ではあるけれども、しかし、それらの互いに矛盾する資料であっても、その差異を計算に入れて適切な批判や吟味(この思考過程は直線的でなく円環的であり、弁証法的なものである。分析的であるとともに、総合的なものである)を加えるならば、かえってそれ相当の価値ある観察が可能なのであり、このことが刑事裁判における事実認定の基礎であるとともに、控訴審である当裁判所が事後審として原判決の事実認定の当否を判断することを可能にする根拠でもある。そして、この心的過程は、窮極的には、裁判官の全人格的能力による合理的洞察の作用にほかならないのである。

   一件記録によって全証拠を精査・検討してみると、本事件の捜査は極めて拙劣なものではあるが、その間、試行錯誤を重ねつつも、客観的証拠が指向するところに従って捜査を進めていったところ、被告人に到達したと見ることができるのであり、捜査官が始めから不当な予断偏見をもって被告人をねらい撃ちしたとする所論を裏付けるような証拠は、ついにこれを発見することができない。

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   以上のような観点に立って、被告人の捜査段階における供述や原審及び当審供述の中から、被告人が明らかに、且つ意識的に虚偽の供述をしたと認められる部分を拾い出すことは容易である。例えば、

(1)被告人は捜査段階では、この事件以前に女性と性的交渉をもった経験はなかったと述べてきたところ、当審(第二六・六六回)供述ではこれを変更して、それまでに複数の女性と肉体関係をもったことがあると表白するに至った(「本件」のような態様の犯罪では、性交の経験者が実行する方が比較的容易であることを考えると、この点はかなり重要である)。

(2)被告人は、捜査段階で、初め狭山署の留置場の便所に詫び文句を書いたと述べたので調べてみたが、そこには見当たらず、川越分室の留置場の自室の壁板に横書きで爪で書いたと認められる六月二〇日付の詫び文句「じょぶでいたら一週間に一どツせんこをあげさせてください六・二十日石川一夫入間川」が発見された(この詫び文句にある六月二〇日といえば、被告人が、「本件」につき裁判官の勾留質問に答えて「事実(善枝さんのこと)は知りません。事件をおこしていないと云うことをお話しするという意味のことを話しただけで裁判所へ行っても善枝さんのことについては知らないから知りません」と陳述した当日であり、員 関源三に三人犯行を自供した日でもあることを考え合わせると、裁判官には否定的な答えをし、員 関源三には三人犯行を自供したものの、内心では良心の呵責に堪えかねて、反省悔悟の情を自室の壁板に爪書きしたものと考えられる)。

(3)被告人が員 関源三に、三人犯行を自供したのは六月二〇日であると認められるところ、当審に至ってこれを六月二三日であると主張している。

(4)六・二一員 関源三調書で、はじめ鞄を捨てた場所として嘘の略図を書いて渡しておきながら、「なおよく考えてみたら思い違いであったと思います」と言って、別の略図を書いて渡し、その略図によって捜索したところ、鞄が発見されるに至った。

(5)被告人は、捜査段階で「筆入れをうんまけたとき鉛筆やペンが入っていた」「今日話したことは本当です」と供述したけれども、当審において取調べた東京大学名誉教授 秋谷七郎作成の鑑定書(以下、秋谷鑑定という)によると、脅迫状の訂正部分の筆記用具は、ペン又は万年筆であるとされ、この鑑定結果は信用するに足りるものであると認められるから、被告人が犯人だとすると、被告人が万年筆を鞄から取り出したのは、「本件」の兇行が行なわれた四本杉の所で思案していた間のことで、被告人がその場所で被害者の鞄の中を探って筆入れの中にあった万年筆を取り出し、それを使って杉か桧の下で雨を避けて脅迫文を訂正したと認めざるを得ないことになる。そうだとすると、万年筆を奪った時期と場所に関する供述、並びに「万年筆を使ったことがないからインクが入っていたかどうかわかりません」という捜査段階での供述は、偽りであると言わざるを得ない。そして、所論の文字を書く生活から程遠い被告人が、なぜ五月一日にボールペンを持って家を出たか、その他ボールペンに関していろいろ不合理な供述をしている点も解明されるというものである(したがって、万年筆の奪取時期に関する原判決の事実認定には誤りがあることになる)。なお、被告人は六・二九員 青木調書で「うんまけるということは容物を逆さにして物をあけることです」と注釈している。

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◯続く(6)以降は次回へ。

注:1「区々(まちまち)」=違いがあってまとまりがない様子を表す。意見や物事が複数存在し、それらが互いに異なっている状態や、そのさまを指す。

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   ◯ところでこの季節、酒のつまみは湯豆腐であり、酒好きにとってこれはたまらんのであるが、豆腐の過剰摂取は尿路結石の原因となるらしく、したがってその結石を溶かすとされる鰹節をポン酢だれに放り込み、それを食らう日々が続く。こういった貧乏臭さも、狭山事件公判調書を読むにあたり、当時の昭和の空気を実体験できる要素と成りかねず、密かに微笑む。