◯・・・今、こうして判決文を読みながら想うことは、未だに検察側が、なぜ全証拠の開示請求に応じないのであろうかというところである。また、これまでも狭山事件の再審請求の担当となった歴代の裁判官らは、この開示請求に関してはパンドラの箱を扱うが如く滑稽なほどの消極的な姿勢で対応してきた。
本件にまつわる疑惑、疑念、及び作為的な捜査の疑いなどは全くないと胸を張りながら、では証拠を全て出しなさいと迫ると彼らは頑なに拒むということは、どうやらこの点に真相解明のカギが秘められているようである。
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【狭山事件第二審・判決⑬】
(事実誤認の主張について)
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所論は、右第二の論旨を除いても、極めて多岐にわたり、且つ、微に入り細をうかがっているけれども、これを要約すると、
一、全く無実の被告人を有罪と認定し死刑に処した原判決には、判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認がある。
二、仮に被告人が犯人であるとしても、被告人には被害者を殺害する意思はなかったのであるから、原判決が被告人を強盗強姦・強盗殺人等に問疑(注:1)したのは事実を誤認したもので、強盗強姦致死等に問うべきものである。また、原判決中、高橋良平の作業衣一着を窃取したと認定したのは、被告人に不法領得の意思がなかったのであるから窃盗罪を構成せず、いずれも判決に影響を及ぼすことの明らかな事実の誤認があるというに帰着する(控訴趣意第四は法令適用の誤りをいうけれども、原判決の認定した事実に対する法令の適用としては何ら誤りはないのであるから、所論の実質は、殺意を否定する事実誤認の主張に帰すると解される)。
そこで、右の点につき順次判断をする。
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『一、事実誤認の主張"一"について』
所論は、被告人は恐喝未遂を含めて「本件」に全く無関係、無実というのであって、弁護人らの主張の主軸をなし、本被告事件のまさに核心をなす部分であるから、当裁判所としては最も慎重且つ綿密に証拠を検討した。所論は、被告人の捜査段階における自白には、その間に数多くの食い違いがあること、もし犯人であるとすれば当然触れなければならないはずの事柄について知らないと述べ、供述に多くの欠落があること…その最たるものは、被害者の首に巻かれていた木綿細引紐について何ら触れられていないことである…及びこれらの供述と客観的証拠(証拠物・鑑定結果その他信用するに足りる第三者の証言等)とが食い違っている、これは、捜査段階において、被告人が体験しない事柄について、捜査官の方で他の証拠等から組み立てた被告人とは無関係な事件に合わせて被告人の供述を誘導したからに他ならないというのである。
そこで、事後審である当裁判所として、原判決の事実誤認の存否を審査するに当たって、ここで当裁判所の基本的な態度を明らかにしておくと、我々裁判官は憲法に適合した法令の従僕であるとともに証拠の従僕でもなければならないと考えているが故に、個々の証拠を評価するに当たっては証拠能力・証明力の点について綿密な審査を重ねてきたわけである。ところで、実務の経験が教えるところによると、捜査の段階にせよ、公判の段階にせよ、被疑者もしくは被告人は常に必ずしも完全な自白をするとは限らないということで、このことはむしろ永遠の真理と言っても過言ではない。殊に現行の刑事手続きにおいては、被疑者ないし被告人にはあらかじめ黙秘権・供述拒否権が告知されるのであり、質問の全部または一部について答えないことができ、答えないからといってそのことから不利益な心証を持ってはならないという趣旨であって、もとより虚偽を述べる権利が与えられるわけではない。また、実務の経験は、被疑者または被告人に事実の全てにわたって真実を語らせることがいかに困難な業であり、人は真実を語るが如くみえる場合にも、意識的にせよ無意識的にせよ、自分に有利に事実を潤色(注:2)したり、意識的に虚偽を混ぜ合わせたり、自分に不都合なことは知らないと言って供述を回避したりして、まあまあの供述(自白)をするものであることを、常に念頭において供述を評価しなければならないことを教えている。このことは、参考人や証人として供述する場合も、程度の差こそあれ同じことである。
また、かようなことは、弁護士が民事・刑事の依頼者から事実関係を聴取する場合にすら往々経験するところであろうと思われる。被疑者や被告人が捜査官や裁判官に対して述べるのは、神仏や牧師の前で懺悔するようなものではない。否、懺悔にすら潤色がつきまとうものであって、これこそ人間の自衛本能であろう。大罪を犯した犯人が反省悔悟(かいご)し、ひたすら被害者の冥福を祈る心境にある場合にすら、他面において死刑だけは免(まぬが)れたい一心から自分に不利益と思われる部分は伏せ、不都合な点は潤色して供述することも人情の自然であり、ある程度やむを得ないところである。しかるに、所論は自白とさえいえば、被疑者や被告人は事実の全てを捜査官や裁判官に告白するものだ、これが先駆的な必然であるというかのような独断をまず設定した上で、そこから出発して被告人の供述の微細な食い違いや欠落部分を誇張し、それ故、被告人は無実であると終始主張している。
これは全く短絡的な思考であって誤りであると言わざるを得ない。
(続く)
注:1「問疑(もんぎ)」=立件できるかどうかを検討すること。
注:2「潤色(じゅんしょく)」=うわべや表現をつくろい飾ること。