◯いま一度振り返ってみると、この狭山事件は単なる刑事事件ではなかったことが思い出される。
警察による佐野屋前での犯人取り逃しという大失態に続き、行方が危ぶまれていた被害者が遺体で見つかるという最悪の事態を受け、尚且つこの事件の直前に東京都内で発生した吉展ちゃん誘拐事件においても犯人の逃走を許したことも重なり、当時の柏村警察庁長官が辞表を提出、篠田国家公安委員長が事件に対する見解を発表するという事態を招き、果ては衆参両院で取り上げられるという展開までみせたのであった。このことは、もはやここへきて石川被告に無罪判決を出せるような状況ではないほどの重く黒い圧力を裁判官へ与えたことは想像に難くない。
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【狭山事件第二審・判決⑫】
(いわゆる別件逮捕・勾留・再逮捕・勾留を含む捜査手続の違法・違憲を主張し、よって捜査段階における被告人の供述調書の証拠能力を否定し、自白の任意性を争い、原判決の審理不尽その他訴訟手続の法令違反を主張する点について)
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次に、原裁判所が本件のような重大な犯罪について、弁護人の二度にわたる精神鑑定の請求を却下し、その他前掲捜査の経過・アリバイ・生活環境・動機等に関する多数の反証の取調べの請求を却下し、情状に関する証人四名に限って取調べたこと、なかんずく、検察官請求の証人小島朝政の再主尋問の際に判明した六月十八日に被告人宅を捜索し差押えをした事実について弁護人が再反対尋問をしようとしたところ、原審の裁判長が右は主尋問の範囲外であるとして排斥したのであるから、反証段階に入って弁護人から六月十八日の被告人宅の捜索・差押えの状況及び方法を立証するため同人を証人として請求した際には、これを許すのが相当であるのに、原裁判所が必要性なしとして却下したのは、いかにも公平を欠き是認し難いところではあるけれども、何といっても当時被告人は訴因事実を全面的に認めて争わず、検察官及び裁判長の被告人質問に対しても事件の概要をすべて認める供述をしていたことをも考え合わせると、原裁判所としてはそれまでの証拠調べによって既に有罪の心証を形成してしまっていて、もはや弁護人から請求のあったこれらの証拠を取調べるまでの必要性はないと考えたものと判断される。
そして原審裁判長の前記の訴訟指揮と原裁判所の前記の証拠決定とには一般的にいって批判の余地がないとは言えず、ことさらに本件のような重大事件については、精神状態の調査に意を用いることが世界的に見て刑事裁判の趨勢(注:1)であること、裁判所は一見自明と考えられる事柄についても、まずもって訴因事実を疑ってかかるという一般的な態度を堅持し、慎重のうえにも慎重を期する審理態度が望ましいことなどからすると、やや軽率のそしり(注:2)を免れないと言わざるを得ない。しかし、そうかといって証拠調べの限度は受訴裁判所の合理的な裁量に委ねられているところであるから、叙上(注:3)の審理経過に鑑(かんが)みれば、原裁判所として、もはや弁護人の右反証の取調べをするまでの必要はないと判断し、専(もっぱ)ら情状に関する証人に限って証拠調べをしたからといって、あながち審理不尽の違法があるとまでは言えないし、少なくとも当審における事実の取調べの結果を合わせて考えると、仮に原判決に訴訟手続きの法令違反があったとしても、右の違反が判決に影響を及ぼすことが明らかであるとは認められない。
(続く)
注:1「趨勢(すうせい)」=物事がこれからどうなってゆくかという、ありさま。なりゆき。
注:2「そしり(謗り)」=非難や悪口を避けることができない。
注:3「叙上(じょじょう)」=前に述べたこと、を意味し、「叙」は位階や官職を授けること、「上」は"前に"という意味を持つ熟語。また、「叙上」という表記と「如上(じょじょう)」という表記があり、意味は同じ。
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◯狭山事件裁判の第二審は、これまでの弁護人らの尽力にも関わらず「無期懲役」という判決が下されてしまうわけであるが、それに伴い、第一審、二審とを石川被告の冤罪を晴らすために文字通り粉骨砕身の覚悟で臨んだ中田直人弁護人らを解任した部落解放同盟は、ちょっと老生にはよく分からない路線を歩み出した・・・。


記録によると「狭山同盟休校」とあり、狭山事件の裁判結果に不満な部落解放同盟が、子どもたちをその抵抗の矛先として利用、学校を休ませ、ゼッケンを着用させ、まぁデモ行進させたと、こういうことである。
ちょっと待てよと言いたい。判決の正誤は別にして、裁判にかかわる専門家たちにより導き出された結論に対し、遊び盛りの小・中学生に一体何が理解されると思っていたのであろうか、この団体は。