アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1311 【判決】⑩

                     

                   【狭山事件第二審・判決⑩】

(いわゆる別件逮捕・勾留・再逮捕・勾留を含む捜査手続の違法・違憲を主張し、よって捜査段階における被告人の供述調書の証拠能力を否定し、自白の任意性を争い、原判決の審理不尽その他訴訟手続の法令違反を主張する点について)

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   更に、筆跡鑑定の結果、脅迫状の筆跡が被告人のそれと類似もしくは同一であると判定されていたのであるから、脅迫状に使用されている漢字等についても、被告人に脅迫状を示して逐語的(注:1)に、この字は前から知っていた字であるかどうか、「りぼん」その他の本から拾い出して書いたものであるかどうか、もしくは被告人がテレビ番組を知るために買っていたという新聞のその欄から知るようになったものであるかどうか(当審における被告人質問の結果によると、昭和三十八年四月当時「ライフルマン」・「アンタッチャブル」・「ララミー牧場」などを見ていたというのであるから、TBS《六チャンネル》の木曜日の午後八時から放映されていた「七人の刑事」なども見る機会があったことが推認され、問題の「刑札」の「刑」はこれで覚えた可能性も十分考えられる。そうでなくても簡単な字画であるから「刑」の字を以前から知っていたとしても別に不思議はない)など綿密に質問するべきであったと思われるのに、極めて大雑把な質問応答に終始している。甚(はなは)だしいのは、同じ取調官が同じ日に二通も三通も調書を作成し、しかもそれらの調書の内容が食い違っていたり、翌日の調書の内容と食い違っている箇所が随所に散見されるのは、弁護人らが詳細に指摘しているところであって、このようなことからすると、取調べに当たった捜査官において事件の大筋についてはともかく、微細な点について果たしてどのような心証を持っていたかすら、これを推測することが困難な状況である。

   かように考えてくると、捜査官は、被告人がその場その場の調子で真偽を取り混ぜて供述するところをほとんど吟味しないでそのまま録取していったのではないかとすら推測されるのである。しかしながらそれだけに、その供述に所論のような強制・誘導・約束による影響等が加わった形跡は認められず、その供述の任意性に疑いをさし挟む余地はむしろかえって存在しないと見ることができる。なるほど、原審においても被告人質問はある程度は行なわれているが、本件の重大性と捜査段階における供述内容が微細な点で多くの食い違いがあることを考えると、もっと詳細な被告人質問をしておくべきであったと思われる。当審になって被告人が自白を翻(ひるがえ)し無実を主張するに至った現在から見ると、原審における被告人の公判供述が不十分であることは否(いな)めないが、当裁判所としてみれば、被告人が無実を主張している以上それらの点を確かめるすべがなく、前述の真偽取り混ぜての供述の中から、被告人の供述心理を解明し、客観的証拠によって裏付けられた供述部分を中心に据えて真実の部分と虚偽の部分とを判別していくという困難な作業を行なわざるを得ない立場にあるのである。要するに、本件の捜査の全般、なかんずく(注: 2)被告人の捜査段階における供述調書からして窺い知ることのできる取調べは、拙劣(注:3)且つ冗漫(注:4)で矛盾に満ち、要点の押さえを欠いていることは確かであるけれども、それだけにかえって、供述の任意性に疑いがあるとは認められない。また、所論の作為性があるとも認められない。

   弁護人は、鞄類・万年筆・腕時計・足跡等の物証の発見経過について、いずれも捜査官の作為があると総花的(注:5)に主張している。当裁判所は、いやしくも(注:6)捜査官において所論のうち重要な証拠収集過程においてその一つについてでも、弁護人が主張するような作為ないし証拠の偽造が行なわれたことが確証されるならば、それだけでこの事件は極めて疑わしくなってくると考えて、この点については十分な検討を加えた。しかしながら、当裁判所は、事実の取調べとして、当時直接・間接に証拠の収集に携わった多数の捜査官を証人として取調べたが、その結果を合わせ考えても、結論として、これらの点に関する弁護人の主張は一つとして成功しなかったと認めざるを得ない。その詳細については別に論点ごとに考察するであろう。ただここでは、被告人の取調べを主として担当し最も数多くの供述調書を作成している員青木一夫が当審において証人として、自分は、平素から供述調書というものは被疑者の言う通りをそのまま録取するものだと考えているし、それを実践してきたと証言していることを指摘しておくにとどめる。

(続く)

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注:1「逐語的」=一語一語、文法的なつながりを無視して言葉を忠実に、そのままたどるようにの意。

注:2「なかんずく」=いろいろあるなかでも特に。とりわけ。

注:3「拙劣(せつれつ)」=下手なこと。つたないこと。質が低い。劣る。

注:4「冗漫(じょうまん)」=表現がくどくて長ったらしいこと。

注:5「総花的(そうばなてき)」=分散することでおこる"不徹底""具体性の欠如"。

注:6「いやしくも」=かりにも。万一にも。

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   ◯「〜放映されていた『七人の刑事』なども見る機会があったことが推認され」「そうでなくても簡単な字画であるから、『刑』の字を以前から知っていたとしても別に不思議はない」・・・・・・判決の一節である。

   だが、石川被告の証言には、当時『七人の刑事』を見たという供述はない。

  『刑』という字についても石川被告は、当時の警察官調書に対し、字を知らないがゆえ、ふりがな付の雑誌「りぼんちゃん」から『刑』の字を拾い出し脅迫文に使用したと述べている。この自白を補強するための証拠として検察官は「りぼん」(昭和三十六年十一月号)を裁判所へ提出しているのだが、この雑誌のどこを探しても『刑』という字は見当たらなかったのである。

   まったく自白と証拠とが一致してませんな、これは。しかもこの判決文には、「推認される」という言葉が方々にさりげなく散りばめられているのだが、この言葉は「〜かも知れない」「〜はずである」「ひょっとすると」「もしかして」「あり得る」「〜ともすれば」と同義語と思われる(あくまでも老生の解釈だが)のであって、確たる根拠もなく、この論法で「無期懲役」という判決に導かれては、たまったものではないのである。