【狭山事件第二審・判決⑤】
(審理経過の特異性について)
鑑定については、当事者双方の意見を徴したうえ、前記第五回検証において、一応筆圧痕が認められた二十八枚の図面中から十五枚を抽出して、筆圧痕と鉛筆書きの線のいずれが先に印象されたものであるかを鑑定すること、この鑑定は、同一事項を各別に二名の鑑定人に命じて実施することとし、ひとまず、千葉大学法医学教室の宮内義之介教授に鑑定を命じた。
その後右鑑定未了の間に裁判官の更迭があり、更に弁護人から現場検証の請求がなされた。宮内鑑定は予想外に日数を要する見込みとなったため、当裁判所は右鑑定の結果を待たずに審理を進めることとし、昭和四十五年四月中三期日をかけて公判手続きを更新し、更に、弁護人の検証請求を採用して、昭和四十五年五月八・九の両日、当審第七回目の検証を実施した。
右検証に際しては、当審第四回検証の対象となった全範囲のほかに被害者の腕時計が発見されたとされる場所及びその付近の検証並びに証人二名の尋問が行なわれた。その後昭和四十七年九月十九日、第六十八回公判に至るまでの間、更に証人四十六名の尋問が行なわれたほか、宮内鑑定人による鑑定の終了後、上野正吉東京大学名誉教授に命じて、宮内鑑定と同一の検体、同一の鑑定事項による鑑定を実施した。
右両鑑定の結果は、いずれも、検体十五枚のうち一枚(両鑑定とも同一)の検体につき、筆圧痕の存する部分が少ないため判定不能とされたほか、その余の十四検体につき、おおむね弁護人の主張ないし疑念を否定する結論に達した。
更に、当裁判所は秋谷七郎東京大学名誉教授に命じて本件脅迫状及び封筒の作成に用いられた筆記具、インクの各種類・性質の鑑定を実施したほか、三木敏行、大沢利昭両東京大学教授に命じて本件脅迫状の封緘のために用いられた接着剤の種類、性質及び右封緘のため唾液を付けたか否か、付けたとすればこれから血液型を検出することができるかどうかの鑑定を実施した。これを要するに、それまでに取調べた証人は、原審で取調べられた証拠及び取調べを請求して却下された証拠のほか、弁護人の請求にかかる証拠は、控訴審における事実の取調べの範囲に関する種々の考え方のうち、最も緩やかな方式を採用して取調べ、しかも同一証人を何開廷にもわたって尋問するなどして延べ八十名(うち検察官のみの請求にかかる者三名)、実数六十八名、実施した鑑定は六件八名、被告人質問十一回、実施した検証は七回に達した。
その後、裁判官の更迭により審理は再び中断し、再開後は昭和四十八年十一月二十七日第六十九回公判から四期日をかけて公判手続きを更新した後、第七十三・七十四回公判期日において双方から請求のあった証拠書類、証拠物、検証及び証人請求について証拠決定並びにその施行をし、昭和四十九年五月二十三日の第七十五回公判期日に最終の被告人質問をもってすべての事実の取調べを終わり、その後、同年九月三日以降六回に及ぶ弁論が行なわれて同年九月二十六日をもって審理を終結し、本日の判決に到達するまで、控訴審だけで実に八十二回、十年以上の歳月を経過した。
以上がこの被告事件における審理経過の概要であり、特異性でもある。
(続く)
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◯判決文は膨大な字数で埋められどこに何が書かれていたか、もはや判然としないが、どこかで触れているはずである問題点を以下へ記す。

写真は被害者宅へ届けられた脅迫状の文面の一部であり、執筆者は石川一雄被告と認定されている。さて、文面に見られる抹消されている日付であるが、事件後長らくこの日付は4月28日と読み取られており、石川被告の自白によっても「四月二十八日の午後、テレビを見ながら」書いたとあったのだが、事件から十六年後、これを赤外線写真で分析したところ、「28日」ではなく「29日」という文字が浮かび上がってきたのである。

脅迫状に記載された身代金の受渡しの日付が4月28日ではなく4月29日であった事実は重大である。しかし判決文は何事もなかった如く無期懲役との判定へ向かってゆく・・・。