この事件の裁判(第二審)の判決文で裁判長は、いわゆる「筆圧痕」問題に触れているが、これはどういうことかというと、当時、捜査段階において石川被告を取調べた捜査主任である遠藤警部補が、二枚重ねた上の紙へあらかじめ書き込み、そののち下にうつった痕を鉛筆でなぞらされ図面を書かされたという石川被告の証言を指す。弁護団による調べでは、石川被告による供述調書に添付されたほとんどの図面から筆圧痕が発見されている。


しかし裁判所は「いや、そんな、違いますよ」という警察の主張を認め弁護団の主張を退(しりぞ)ける。
だが、京都大学工学部=荻野助手の分析・鑑定によれば、筆圧痕の上を鉛筆でなぞった時に出来る現象、すなわち筆圧痕が先に生じていることを示す「中抜け現象」が見つかっているのだが・・・。
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【狭山事件第二審・判決④】
(審理経過の特異性について)
さて、当審は右の第一回公判以来、昭和四十三年十一月十四日の第三十回公判までに、事実の取調べとして、四回に及ぶ現場検証、三件の鑑定、証人三十名の尋問を実施した。右四回の現場検証のうちの第一ないし第三回は「本件及び恐喝未遂被告事件」に関係ありとされる場所(検証現場は被告人宅を含めて十八箇所の現場とこれらを結ぶ経路)を三回に分けて順次検証したものであり、第四回目の検証は右検証現場全部(経路を含む)と被告人が主張する事件発生当日におけるアリバイに関する場所(検証現場二箇所とこれを結ぶ経路)を、また、三件の鑑定中二件は「本件及び恐喝未遂被告事件」の脅迫状と封筒の各筆跡についての鑑定であり、他の一件は、被告人の血液型の鑑定である。
かようにして昭和四十三年十一月十四日の第三十回公判期日には、事実の取調べを終了し、次回以降は弁護人の最終弁論を予定する運びとなっていたのであるが、弁護人は右公判期日において、被告人質問を求め、その結果、被告人の司法警察員に対する供述調書(以下、員調書という)に添付の被告人作成の図面の成立経過に疑いがあると主張し、当裁判所は職権によって証人遠藤三及び青木一夫を次回に取調べる旨決定し、第三十一回公判期日にこれを施行したのであるが、更に弁護人らは右図面の成立経過について検証並びに鑑定を請求するに至った。
その旨は要するに、被告人の員調書中十八通に添付されている犯行当日における被告人の行動経路、被害者の所持品を投棄した位置等を藁半紙に図示した図面には、黒鉛筆書きによる図示のほか、これとほぼ重複する状態に、骨筆ようのもので画かれた無色の線状の痕跡がある(以下これを筆圧痕という)、これは、被告人の取調べにあたった司法警察員があらかじめ藁半紙へ骨筆ようのもので下図を画いておき、後に被告人に黒鉛筆でその筆圧痕をなぞらせて被告人作成の図面とした疑いがある、したがって、右各図面は、被告人が自己の記憶に基づき真正に作成したものであるかどうか疑わしく、ひいては、被告人の自白そのものの真実性を疑わせるものである、というのである。
そこで当裁判所は、右検証並びに鑑定の請求を容れ、昭和四十三年十一月二十六日及び同四十四年三月十八日の二回にわたり図面の検証を実施した(当審第五、第六回検証)。右のうち第五回検証においては、前記十八通の供述調書に添付の図面三十七枚全部について、筆圧痕の存在が認められるかどうかを検証したものであり、その結果、うち二十八枚について、筆圧痕が一応認められた。なお、右二十八枚のうち五枚については、裏面に黒色カーボンを当てて筆圧を加えたために生じたもののように見受けられる、かなり明瞭な線があることも併せて認められた。
第六回検証においては、埼玉県警察本部(以下、県警本部という)と埼玉県狭山警察署(以下、狭山署という)から取り寄せた被告人の員調書の謄本又は写しに添付されている図面中に、前記記録中の被告人の員調書に添付の図面(三十七枚)と同種のものがあるかどうか、ある場合は、双方の図面が合致するかどうかを検証した。
その結果、右取り寄せ書類中の員調書十八通(以下、原本という)のすべてについて、これと謄本又は写しの関係にあると認められるものが存在すること及び原本添付の図面と同種の図面がこれに相応する謄本又は写しにも添付されていること、更にその中のあるものは添付図面と合致すること、並びに前記カーボンの線についても合致するものがあることが明らかとなった。
(続く)
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四枚の検証見取図は立会人検事原正の指示説明によるもの。