【狭山事件第二審・判決③】
(審理経過の特異性について)
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更に弁護人は、同年(昭和三十八年)十二月二十六日付書面で、検証(本件各現場相互間の距離並びに徒歩又は自転車での所要時間)と、自白の真実性に疑いがあるとして、証人五十嵐勝爾、長野勝弘、岸田政治、長谷部梅吉、諏訪部正司、清水利一、青木一夫及び小島朝政の、五月一日午後の気象状況について中村雅朗の、同日午後四時過ぎころ被告人を自宅で見かけたという証人として魚石斐子、増茂三郎の、また、右アリバイ関係のほか手拭い関係、石田一義方を辞めさせた事情、オートバイの債務の処理の状況について石川六造、石川富造の、手拭い・タオル・アリバイ関係で石川リイを、手拭い・タオルで石川仙吉を、被告人の生活態度その他情状に関する事実につき石川清、被告人の性格等情状に関し被告人の隣人で幼友達である水村正一、被告人の親戚で以前の使用者として情状につき石川茂、被告人との交際、同人の性格、態度、最初に自白したときの状況、その後現在まで被告人と面会した際の状況と被告人の心境につき関源三、並びに被告人の犯行時及び現在の精神状態につき重ねて精神鑑定の各請求がなされたのに対し、原審は、証人水村正一、石川茂及び関源三のみを採用して後二者を取調べた(水村正一については、弁護人において請求を撤回した。)。
被告人質問は、原審第七ないし第十回公判において行なわれたのであるが、被告人は「捜査段階で三人(で)やったと言ったのは全部嘘です。その後述べたのが本当です。」と終始単独犯行を認め、事件の概要についても供述しており、審査を終結するに当たっても、検察官の死刑の求刑意見に対し「言いたいことは別にありません。」と述べた。かようにして、原審においては昭和三十九年三月十一日死刑の判決が言い渡され、その翌十二日被告人から控訴の申立がなされたのであるが、同年四月二十日付当裁判長あて上申書においても「私は狭山の女子高校生殺しの大罪を犯し三月十一日浦和の裁判所で死刑を言い渡されました石川一雄でございます、つきましては次の事情で一日も早く東京へ移送して下されたく上申いたします伝々」と述べている。また、弁護人らの控訴趣意書においても、原判決の事実の誤認、本件捜査の違法性と自白、自白と信憑性、法令適用の誤りのほか、量刑不当の主張も含まれていたのである。しかるところ、昭和三十九年九月十日に開かれた当審第一回公判期日において、弁護人の控訴趣意書に基づいて弁論がなされたのち、被告人は、自ら発言を求め「お手数をかけて申し訳ないが、私は善枝さんを殺してはいない。このことは弁護士にも話していない。」と述べて、ここに初めて被告人は「本件」につき全く無実であると主張するに至った。
(続く)
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◯昨日の東京新聞デジタルには、『狭山事件の再審開始をもとめる署名21万5000筆、市民の会が東京高裁に提出。新証拠鑑定人の証人尋問実施も求める』とある。だが、これまでの経緯からみて、よほど奇特な裁判官でない限り、この案件をもう一度洗ってみようなどと考える者は皆無であろうと思われる。何故ならば東京高裁にですな、狭山事件の再審を開始させた場合、高裁内部の反対勢力よりそのペナルティとして地方の僻地・離島へ左遷させられ、日の当たらぬまま残りの余生を過ごす羽目になったとしても「そんなもんさらさら平気ですよ、今以って揉めているこの裁判の真偽を明らかにすることに比べれば」と平気で言えるような本気・本物の裁判官が存在するとは思えないからである。
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ところで八王子で古本まつりが開催されると聞き、さっそく偵察に出かけた。老生としては昭和時代に起きた事件・犯罪を詳細に掘り下げた書物が好みであるゆえ、これを発掘するべく会場に設営された全店舗に対し捜索を開始した。しかし残念ながらこの会場では一冊のみ、しかも事件・犯罪とは無関係な本を百円で購入し悲しい気持ちになる。

『ふるほん文庫やさんの奇跡』(谷口雅男=著)。この本の著者は古本業界ではある意味において知られており、その"ある意味"を知ることができるかも知れないと思い購入した。この人物は平成六年に愛知県豊田市において文庫本専門古書店を開業、本書を平成十年に発行したのち平成二十四年、自身が経営していた古書店舗内に約四十万冊にのぼる在庫を放棄し失踪、現在も行方不明となっている。なお、この人物が失踪するまでに、店舗内ではアルバイト店員が首吊り自殺するという事件が起きており、なかなかミステリアスである。
霧雨の中、この一冊では物足りぬと、駅にほど近い「佐藤書房」へと移動する。半端ない蔵書量を誇る店内を探索していたところ、気になる一冊を見つける。

それとは『片隅の迷路』(開高健=著)である。昭和二十八年に徳島県徳島市で発生した「徳島ラジオ商殺し事件」を題材にしたものである。犯人とされた内縁の妻は、刑の確定及び死後、再審によって無罪が言い渡された冤罪事件であり日本初の死後再審となった・・・。これは是非とも読みたいぞとパラフィン紙で包まれた本の巻末で値段を確認すると「3,000円」の値札が・・・。そして「初版・帯付き」とも記入されていた。

いや、ただ読むだけでよいわけだから、帯などいらないし初版かどうかは興味がないのである。したがって同書はネットで瑕疵あり本を探せば安値で買えるのではと、しばし思案する。ああ、たかが古本に三千円も払えるかとの思いと、今これを買えばすぐ読めるぞとの葛藤を打ち砕いたのは店内の三カ所に配属された気難しそうな店員(店主かも知れない)の一人が検品を終えた古本を机の上でどすんと音を立て揃えた、その激しい打音であった。「かっ、買います、買いますから許してっ、命だけは」と素直に敗北を認め支払いを済ませたのであった・・・。
本書は、毎日新聞にて昭和三十六年五月から十一月まで連載されたものをまとめたもので、本事件は昭和六十年に無罪判決が確定していることから、その内容は事件の一断片にとどまっている。作家=開高健の視点による徳島ラジオ商殺し事件とはどうであったか、非常に気になる書を入手でき、先ほどの悲しい気持ちを見事に払拭する。