アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1303 【判決】②

   ◯前回をもって、第一審後に弁護団より提出された控訴趣意書の、「第六、量刑不当」とは何か、を無事に確認出来た。これを弁護団は第二審の終わり頃に「陳述しない」と述べたわけである。さあここで再び狭山事件第二審【判決】 に戻ろうか。

                      【狭山事件第二審・判決②】

                       (審理経過の特異性について)

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(判決の理由の続き) 一件記録によれば次の事実が認められる。

   昭和三十八年五月二十二日(以下、年度を省略した場合は昭和三十八年を指す)被告人を被疑者とする窃盗・暴行・恐喝未遂被疑事件について逮捕状が発せられ、その翌二十三日右逮捕状によって被告人が逮捕され、同月二十五日同罪名によって勾留状が発付、執行され、あわせて接見禁止の決定がなされ、六月三日勾留期間が延長されて同月十三日に窃盗・森林窃盗・傷害・暴行・横領の罪名で浦和地方裁判所川越支部に公訴が提起され、同日いわゆる求令状により前記勾留状に記載されていない訴因事実すなわち窃盗・森林窃盗・傷害・暴行・横領被告事件についても勾留状が発せられた。続いて同月十六日強盗強姦殺人死体遺棄被疑事件について逮捕状が発せられ、前記公訴を提起された窃盗等被告事件についてその翌十七日に保釈の決定がなされ身柄が釈放されるや否や、その場で前記逮捕状によって被告人は再び逮捕され、同月二十日同罪名によって勾留状が発付・執行され、併せて接見禁止の決定がなされ、同月二十九日勾留期間が七月九日まで延長されて、同日浦和地方裁判所に強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄(以下これを「本件」という。)及び恐喝未遂(これを含む前記第一次逮捕・勾留にかかる事実を以下「別件」という。)の罪名によって控訴が提起された。言い換えると、既に前記川越支部に起訴されている窃盗等被告事件を含め、捜査にかかるすべての被疑事実について公訴が提起され、弁論が浦和地方裁判所に併合されて九月四日第一回公判が開かれた。

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   この事件においては被告人が逮捕されるや、公訴提起前である五月二十八日に窃盗等被疑事件につき中田直人及び橋本紀徳の、また、六月十四日に暴行・窃盗等被告事件につき石田享の各弁護人が選任され、更に、六月十九日に「本件」被疑事件につき橋本紀徳、中田直人及び石田享の各弁護人が選任され、被告人の捜査段階における人権擁護のための活発な弁護活動(保釈請求、勾留取消請求、勾留理由開示の請求、警察官の接見禁止処分に対する準抗告の申立、勾留中の被告人とのしばしばの接見交通等)が行なわれてきたことが一つの特色であると言える。

   右第一回公判期日におけるいわゆる冒頭認否において、被告人は「事実はいずれもそのとおり間違いありません。」と述べたのに対して、弁護人らはいわゆる別件逮捕・勾留・再逮捕その他捜査手続の違法性を主張し、被告人の捜査段階における供述調書の任意性を争い、証拠調べに入るや、検察官が「本件」及び恐喝未遂被告事件について取調べを請求した三四二点にのぼる書証や証拠物のうち、わずか五点の書証についてこれを証拠とすることに同意し、一点の書証について意見を留保したほか、その余の書証はすべて証拠とすることには不同意と陳述し、恐喝未遂を除く「別件」の書証についてはすべて意見を留保したのであるが、この点も他の刑事被告事件にはあまり見られない一つの特異点である。

   そこで検察官は不同意の書証を撤回して、証人五名の尋問と現場の検証とを請求し、裁判所はこれらを採用する決定をしたのであるが、右公判期日において被告人は「現場検証には立ち会いたくありません。」と述べた。

   このようにして、原審の審理は、被告人を立ち会わせて指示説明をさせるなどのことがないまま現場を検証することから始まり、第八回公判期日までに被告人の捜査段階における供述調書を含む検察官請求の証拠が取調べられてから、弁護人の反証段階に入り(この点、争いのある被告事件では、通常、罪体に関する反証の取調べが終わった後に、被告人の捜査段階における供述調書の取調べや被告人質問が行なわれることからすると、やや異例であると思われるが、記録を見ても、この点につき弁護人から格段異議の申立もなされていない。)、同年十一月二十五日付の書面で、弁護人から被告人の性格、特に精神病又は精神病質の有無について被告人の精神鑑定の、本件捜査の経過、被告人の自白の経過を立証するための証人として各司法警察員(以下、単に員と言うことがある。)山下了一、諏訪部正司、清水利一、青木一夫、関源三及び長谷部梅吉の、また、五月一日、同二日の被告人の行動並びに被告人の性格や生活態度一切を立証するための証人として、石川富造、石川リイ、石川六造、石川ユキヱ、石川清及び石川美知子の各請求がなされたのに対し、原審は鑑定並びに、捜査の経過等の証人は全部請求を却下し、五月一日、同二日の行動等につき石川リイと石川富造の二名を採用して取調べた。(続く)

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   文中にある「石川富造」「石川リイ」とは石川一雄被告の両親を指す。息子の無実を訴え続けていたが、父の富造氏は昭和六十年、母リイは昭和六十二年に無念のうちに亡くなった。