アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1299

◯これまで引用してきた『狭山事件公判調書第二審』は、狭山市の某図書館が所蔵しているそれを複写し、ここへ引用してきた。

   ところで、写真に写っているのは『狭山事件公判調書第一審および第二審』であるが、向かって右から二冊目の第二審・第七分冊をもってその裁判記録は途絶えてしまっている。つまり第七十五回の公判が最後を締めくくっており、もちろん第八分冊というものはない。

   第七分冊を読了後、これで法廷での尋問は終了し、残るはいよいよ寺尾裁判長による判決の言い渡しかと思ったが、どうも違うようである。

   調べてみると、上記の第七十五回目の公判後、第八十二回(判決)まで公判は続いており、当ブログの情報元とした写真の調書からはその後の七回の公判が未記載であったのである。この七回の公判内容もこの場へ引用したかったが、どうやらそれは不可能であるようだ。ただ、公判の標目については判明したので、以下に記す。

◯第七十六回公判(昭和四十九年九月三日)。弁護団最終弁論、「総論」(中田)、「刑事裁判としての狭山事件」(佐々木哲)、「捜査と物証」(阿形)、「死体状況」(山上)、「佐野屋往復経路と足跡①」(本橋・城口)。

◯第七十七回公判(同年同月五日)。弁護団最終弁論、「本事件と部落差別」(佐々木静)、「集中見込捜査と部落差別」(中山)、「事件の特徴と被告人の無実性」(松本)、「佐野屋往復経路と足跡②」(橋本・城口)。

◯第七十八回公判(同年同月十日)。弁護団最終弁論、「本件の特異な構想」(和島)、「別件逮捕・再逮捕の違法性」(三上)、「時計について」(宇津)、「逆吊りと強姦に関する自白の問題点」(木村)、「教科書・鞄・万年筆」(宮沢)。

◯第七十九回公判(同年同月二十日)。弁護団最終弁論

◯第八十回公判(同年同月二十四日)。弁護団最終弁論

◯第八十一回公判(同年同月二十六日)。弁護団最終弁論

◯第八十二回公判(同年十月三十一日)。判決。

   と、このような流れであった。これらの記録は一体どこへ行けば読めるのであろうか。そして振り返ると、この狭山事件第二審は、昭和三十九年九月から昭和四十九年十月までの、十年もの歳月が費やされた裁判であったが、本件はこの先、再審により無罪が下されようと、また下されまいとしても、その疑惑に満ちた、作為にあふれた捜査過程は今後も永遠と語り伝えられるであろう。

                                            *

   ・・・午前十時五十分、松屋で卵かけ納豆ご飯定食を完食、ナットウキナーゼが毛細血管の老廃物を溶かし、卵並びに白米のタンパク質が肉体の隅々まで浸透しエネルギーと化す様を感じながら、久々に近所の河川敷を散歩した。

   すると、ある地点で極楽浄土の極みと呼べる光景に出くわす。

   

   続々と現われた猫たち。一体何匹いるんだ?

   予想外の状況に狂喜した老生がスマホのカメラを向けると、彼等は訓練を受けた軍人のごとく整列してくれたのだが、そう簡単には撫でさせては貰えなかった・・・。だが、こんな所に夢の猫王国が誕生していたとは喜ばしいことである。