

(写真は文中に出てくる速記録末尾添付の図面)
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【狭山事件公判調書第二審4392丁〜】
第七十五回公判調書(供述)
被告人=石川一雄
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裁判長=「(先ほど示した本速記録末尾添付の図面を示す)この図面の斜めになっている通りがありますね」
被告人=「通称"新道"ですか」
裁判長=「はいはい。その斜めになっている通りのそれで言うと上のほうが前原ですね」
被告人=「はい、そうです」
裁判長=「その斜めの通りの反対側は新宅」
被告人=「はい、そうです」
裁判長=「それから、方角は」
被告人=「方角は入間川の駅のほうが北です。で、菅原町と書いてあるほうが南です」
裁判長=「それから、今、弁護士から聞かれた入曾の農家へ奉公に行ったのは、宮岡チョウゾウですか、チョウヘイですか」
被告人=「長三です」
裁判長=「それから、石川寅◯という名前が出ましたね、その地図にそのお父さんの家はありますか」
被告人=「あります」
裁判長=「お父さんの名前は、誰になる」
被告人=「石川じんぺいですね。そう太いので黒く書いてあるでしょう。それが比較的裕福な家だったですね。そういう風に自分は区別して書いてあります」
裁判長=「これは新宅のほうになるんじゃないの」
被告人=「そうですよ、新宅です。だから言ったじゃないですか、二人、新宅のほうに女と男が、同級生がいるって」
裁判長=「それから床屋の話が出たね」
被告人=「はい」
裁判長=「何という床屋なの」
被告人=「千葉床屋です」
裁判長=「これはどの辺にあるの、この地図には」
被告人=「ないですね」
裁判長=「入間川駅を中心にしてだいたい」
被告人=「入間川駅を中心にして、入間川局があるでしょう。あれのちょうど中間ですね」
裁判長=「入間川駅と郵便局の中間くらいにあるところの床屋さん」
被告人=「ええ、そうです」
裁判長=「これは弁護人の質問をちょっとはみ出るかも分かりませんけど、二、三・・・・・・本件の捜査の段階で現場の引当たり捜査に全然行っておらないね、君は」
被告人=「ええ、行ってないです」
裁判長=「これは何か、わけがあったの」
被告人=「いや、警察官が写真を撮られるから行くなと言ったから、自分も写真を撮られるのがいやだから行かなかったんです」
裁判長=「それから原審の公判になっても検証をしておるんだけれども、その時には公判調書の記載によると、被告は検証現場に立ち会いたくありませんと、こうなっているんだけれども、そんなこと言ったの」
被告人=「言ったと思いますね」
裁判長=「そうすると、やっぱり同じように写真を撮られるといやだと」
被告人=「ええ、そうです」
裁判長=「それから、小学校で広さの単位としてアールというのは習ったかな」
被告人=「分かりません」
裁判長=「やっぱり坪とか反とか、そういう」
被告人=「自分はとにかく学校に行ってもほとんど勉強した記憶がないからね、全然。ほとんど遊びに行ったんじゃないかと思いますね」
裁判長=「長さの単位でメートルというのは、分かる?」
被告人=「はい、分かります」
裁判長=「その、小学校の当時から分かっていましたか」
被告人=「当時は分からないですね。こっちに来てからある程度分かったですね、勉強したから」
裁判長=「そうすると、三十八年頃はよく分からなかったですか」
被告人=「ほとんど分からなかったです。そういう必要なかったからね。だから兄貴が、とび職の手伝いをしていて、これだけやれって言う、それだけしか出来ない。何回も基礎で間違えちゃったことがあるんですね、何メートルというのが分からないから」
裁判長=「それで重さは貫で考えていたのか、キロで考えていたのか」
被告人=「貫です」
裁判長=「君はこの善枝ちゃんの死体が埋められてあった場所に見に行ったということになっているわね」
被告人=「ええ、行ってます」
裁判長=「それと、その芋穴は子どもの時から遊んでおったということにもなっているんだがね」
被告人=「自分のうちの畑だったんです、その前に。この図面にありますけど」
裁判長=「そうすると、その距離がだいたい分かりそうに思うのに、君はその答えによると、五メーターぐらいしかないことになっている部分があるんだが。芋穴と君が見に行ったという死体が発掘された所の距離が」
被告人=「それは警察官が縄が張ってあったから、これまで縄が張ってあったと言ったからじゃないですか。警察官が判断したんじゃないんですか。警察官がこのくらいだからじゃあこれ、五メートルとか何とかそういう風に言ったんじゃないんですか。多分そうなったと思いますね」
裁判長=「実況見分調書なんかによると、二十メーターくらいはあることになっているんだけどね」
被告人=「ええ、そうですね、二十メートルくらいになっていますね、今のあれだと」
裁判長=「今になると、そのくらいであるなと思うけれども、その当時は分からなかったと」
被告人=「ええ、分からなかったですね」
(続く)
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◯石川被告人の供述からみて、彼等の世代は、重さや長さ、その他の物理的単位も尺貫法で学んでいたことが窺える。そうすると体積は「斗」で表していたのだろうか。まあ、今ここで尺貫法とメートル法についてそのメリットやデメリット、またその歴史などを論じるつもりはまったくないが。
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ところで、ほぼ老生の趣味と化している『狭山事件公判調書』の読書は、退屈な日常に刺激を与えてくれ、大げさに言えば人生のモチベーションの源となっている。
公判調書第二審はもうすぐ終わりに近づいているが、この後、原審すなわち『狭山事件公判調書第一審』の読書が控えており、更にそののち『控訴趣意書』及び『再審請求書』と列をなしている。したがって多分、その分量を考えた場合、老生が余命を終えるまで狭山事件という長編記録と付き合ってしまうことは明確である。
しかし公判調書の読書のみでは味気なく、ちょっと味覚を変えた書物を探しにと、東京杉並区高円寺の西部古書館へ向かった。

結果、不穏なタイトルばかりだが『犯罪紳士録』『戦後50年犯罪史』『賭』『獄中の記』の計四冊を千円弱で購入。写真右上の『賭(サイコロからトトカルチョまで)』は、日本を含む世界の賭け事を真面目に分析・紹介した奇書である。その項目の一つ、日本の公営ギャンブル「競輪」について本書は、「単に資金(自転車産業への寄与と自転車産業の振興の意)を獲得する手段として発足したことに大きな問題がある。社会の健全な発展のためには好ましいものではない・・・」「(競輪を指し)"必要悪"だとか、"やむを得ない社会悪"・・・この問題は競輪の将来に大きな影を投げかけている」 などと、国が許可した賭博に対し、かなり手厳しい記述が見られ、老生は思わず本書の著者の身を案じた。
『獄中の記』は昭和十五年刊の、衛戍刑務所(注:1)と豊多摩刑務所に服役した方の自叙伝である。言うまでもなく内容は過酷な囚人生活の記録となっている。
注:1「衛戍刑務所(えいじゅけいむしょ)」=日本に第二次世界大戦前まで存在した軍事刑務所の一つ。