【狭山事件公判調書第二審4375丁〜】
第七十五回公判調書(供述)
被告人=石川一雄
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青木弁護人=「請負いで仕事をしておったことがありますね」
被告人=「ええ、あります」
青木弁護人=「それは、どういうこと」
被告人=「それは"ねぎり" といって、土管なんかをいける(注:1)のに穴を掘るんです。それをこまわりでやると、金をものすごく貰えるんです」
青木弁護人=「こまわりというと」
被告人=「請負いのことです。こまわりですね、自分たちは結局力仕事を出来るから、二人前から出来るんですね。一般の人とやると損だから、こまわりさしてくれといって歩合を貰うんですねえ。だいたい、三千円から四千円貰ったんですね」
青木弁護人=「一日ですね」
被告人=「一日で、朝早く行って夜遅くまでやるから」
青木弁護人=「朝何時頃から」
被告人=「六時頃から、月によりますけれども、とにかく目が見えなくなるまで、時間的にはもう真っ暗になるまで」
青木弁護人=「その頃は家に金を入れていた」
被告人=「入れました」
青木弁護人=「どれくらい」
被告人=「だいたい一万円です」
青木弁護人=「そうすると、残りがあるんですね」
被告人=「はい」
青木弁護人=「あなたの小遣いはどれくらいだった」
被告人=「その時によりますけれども、だいたい日曜日が休みで雨が降れば休みで、だいたい月、二十日くらいじゃないかと思いますが、二万くらいはあったんですね」
青木弁護人=「手取り二万くらいで、その内一万を家に入れたの」
被告人=「いや三万くらいあって、二万は小遣いです」
青木弁護人=「それは何に使っていたの」
被告人=「当時、野球を覚えたんですね、三十二、三年頃から野球を、それでそういったのに金を使いました」
青木弁護人=「野球の道具を買うの」
被告人=「はい」
青木弁護人=「そのほかは」
被告人=「別にあとは女と遊びに行くくらいですね」
青木弁護人=「この当時はまだ競輪はやってなかったね」
被告人=「ええ、しなかったです。競輪は東鳩に行ってからです」
青木弁護人=「土方をやってる時に進駐軍の雑役をやったことがあったね」
被告人=「あります」
青木弁護人=「雑役のほうが実入が多かったのか」
被告人=「ええ、良かったんですね。土曜、日曜が休みで、一日七百円か六百円くらいになったんですね。時間的にも四時頃終わるしね。土曜日曜は休んで遊んでいても勿体ないですから、遠藤中将、遠藤閣下といっているんですね、この家に土曜、日曜には仕事に行っていたんですね」
青木弁護人=「進駐軍にいたというのはどれくらい」
被告人=「半年で整理になったんです」
青木弁護人=「その次に東鳩に行ったんですね」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「菓子をこしらえる工場だね」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「東鳩には三十三年の三月から」
被告人=「二十八日です」
青木弁護人=「日まで覚えているの」
被告人=「はい、覚えております」
青木弁護人=「で、三十六年十月」
被告人=「十月まではいかないですけれども、だいたい、だけど一応東鳩では十月までということになっているんです」
青木弁護人=「九月の」
被告人=「末頃じゃないかと思います」
青木弁護人=「その時はどういう仕事をしていたの」
被告人=「生地といってね、もち米なんかの練ったのを言うんですけれども、生地をせんべいの型にするために何というんですか、ローラーの、せんべいの型にする、そういう仕事をしていたんです」
青木弁護人=「せんべいの型に菓子をこしらえる」
被告人=「ええ」
青木弁護人=「そのせんべいというのはメリケン粉のせんべい、米のせんべい」
被告人=「どっちもありますねえ、カステラも作ってましたから」
青木弁護人=「それじゃ別に難しい仕事じゃないんだね」
被告人=「ええ、やさしいです。誰でも出来ますから」(続く)
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注:1「いける」=埋める。この言葉は狭山地方の一部で使われる一つの方言のようである。
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『東鳩』とは東鳩製菓株式会社を指す。昭和時代に区切って略歴を記す。
- 1953年(昭和28年)
- 1955年(昭和30年) - 保谷工場全焼。
- 1956年(昭和31年) - 保谷工場再稼働。
- 1959年(昭和34年) - 田無工場竣工。
- 1960年(昭和35年) - 山梨工場竣工。
- 1967年(昭和42年) - 埼玉工場竣工。
- 1984年(昭和59年) - 創業者三男の小林義迪が社長就任。
- 1986年(昭和61年) - 山梨工場を保谷工場に統合。
- 1988年(昭和63年) - 社名を東鳩製菓株式会社に改称。
◯なお、石川被告は保谷工場へ勤めていた。
