
昭和三十年代の入間市。(狭山ホームページより)
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【狭山事件公判調書第二審4342丁〜】
第七十五回公判調書(供述)
被告人=石川一雄
質問および供述=別紙速記録記載のとおり
被告人は別紙図面を持参し、公判廷において作成日付を記入し署名のうえ提出したので、これを本調書末尾に添付する。
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〔原本番号 昭和40年(刑)第26号の79〕
【速記録】 昭和四十九年五月二十三日 口頭弁論公判
事件番号=昭和三十九年(う)第八六一号
被告人氏名=石川一雄
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青木弁護人=「更新手続きの初めに、被告の自白事実と部落問題について意見を述べました。部落問題につきましては、裁判所は既に、いろいろな調書、論文等によって十分ご理解いただいているということで、弁護人側の証人調請求は却下されました。しかし、石川君が具体的にどういう差別された状況の中で、逮捕されるまで生活してきたかという具体的な状況につきましては、これまでの記録で明らかにされておりません。そのことに絞って、自白維持と部落差別のつながりということを被告人質問で本人から供述してもらいたいと思うのであります。
石川君のご両親も在廷しておられまして、実は私、石川君に、これを上申書で書いてもらったらどうか、それで裁判所に理解してもらったらどうか、と言ったんですが、石川君が、やはり自分の口から法廷で裁判官に聞いてもらいたいということで被告人質問することになりました。そういうわけで、部落差別の状況だけに絞って被告人質問いたします。もちろんこれは量刑の問題とは全く拘わりございません。量刑不当は主張を撤回しておりますから、なぜ被告が虚偽の自白を維持したかということに限って、その背景となる差別状況ということを石川君から供述してもらうことにいたします。
あなたの家の家族は、あなたが生まれてから何人だったか、まず」
被告人=「家族は七人です」
青木弁護人=「両親と兄さんと、姉さんと、あんたと、弟と妹だね」
被告人=「ええ、そうです」
青木弁護人=「そのほかにもう一人、あなたのところにおったんじゃない」
被告人=「はい、おりました」
青木弁護人=「いつ頃からかね」
被告人=「二十一年頃から二十三年頃まで」
青木弁護人=「それは何という人」
被告人=「石川さくぞうといって、親父の兄貴らしいです」
青木弁護人=「東京から焼け出されてきて、あんたの家で寝ておったと」
被告人=「そうです」
青木弁護人=「ということだね」
被告人=「はい、確か上半身不随だと思ったです」
青木弁護人=「お父さんは仕事は主に何をしておったの」
被告人=「何年頃からですか」
青木弁護人=「あんたが記憶してからでいいですけど」
被告人=「十九年頃から大谷くにみちという狭山市入曾ですけれど、そこの市会議員をやっているうちで、お茶工場の仕事をしていたんです」
青木弁護人=「お茶を栽培することかね、それとも葉を何かお茶にすることかね」
被告人=「葉をお茶にする仕事です」
青木弁護人=「お茶の木を作ることじゃないの」
被告人=「ええ、そうじゃないです」
青木弁護人=「ずっと仕事は続いてあったの」
被告人=「いや、一ヶ月行ったり、行かなかったりです。一ヶ月間行って、また一ヶ月休んで、また一ヶ月行くと」
青木弁護人=「仕事のない時はどういうことをしていたの」
被告人=「仕事のない時は、しの刈りとか」
青木弁護人=「百姓は」
被告人=「百姓もやりました。日雇百姓です」
青木弁護人=「お父さんの収入は、あんたの知っている範囲で言うと、どのくらいあったんですか」
被告人=「その時によってですから、どのくらいと言われてもちょっと困るけれども、そうですねえ、自分が知ってるのは二十四年頃だと、一日の百姓の仕事は百二十円くらいじゃなかったですかね」
青木弁護人=「そうすると、それだけでは生活は苦しかったわけだね」
被告人=「勿論です」
青木弁護人=「お母さんは何か仕事をしておったかね」
被告人=「目が見えなかったから、殆どうちにいたです」
青木弁護人=「お母さんは出身地は、どこか知っている」
被告人=「同じ部落です。同じ菅原四丁目の宮崎玉之助という、本件で問題になった現場のすぐ前のうちです」
青木弁護人=「お父さんの性格はどうだったですか。あんたの知ってる範囲で」
被告人=「まあ律儀な人で、一刻(注:1)でもあったです」
青木弁護人=「厳格だったということだね」
被告人=「はい、そうです」(続く)
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注:1「一刻」=頑固で自分を曲げない人。

◯写真に写る人物は石川一雄氏の父、富造さんである。なるほど、いかにも頑固一徹な魂を内包している様子は、この写真からもそれは十分にこちらへ伝わってくる。写真は千葉刑務所の待合室で息子の一雄氏と面会を待っているところを撮影したものだ。
しかし昭和六十年十一月二十三日、第二次再審請求を待たずして彼は亡くなる。