◯事件当時、狭山市の堀兼および上赤坂地区の住民は警察の捜査に非協力的であったという。その理由は一説によると、地元から犯人を出したくない、このような非道な犯行は地元以外のよそ者によるものであるとの、いわば世間体や見栄という感情がこの地を支配していたゆえの態度であった。その堀兼付近の地区が態度を一変して、炊き出しなどの積極的な協力を申し出るようになったのは、警察の捜査対象が石田養豚場を中心とする人々に向けられたからである。ヨソ者が営む養豚場・・そこに出入りする輩がもしや・・・。この偏った差別的雰囲気は、警察による養豚場の集中捜査により見事に地元民を満足させ、しいては、発見されたスコップは当然に石田養豚場のものに間違いないという暗黙の雰囲気を盛り上げていった。
スコップ発見から十日も過ぎた頃、警察はこのスコップの紛失届を出すよう石田養豚場へ迫る。地元から発せられた強烈な空気が後押しし、その無言の圧力は、経営者がもはやこのスコップは自分のものではないと否認することが出来ない域に達しており、養豚場の経営者の石田氏は、スコップは自分の家のものだと認めるに至った・・・。当時、農家や畑からのスコップの盗難は、いつでもどこにでもある話であったのだが・・・。


ところで、石川被告の虚偽の自白によると、スコップは麦畑へ放り投げたとされるが、実際には麦畑の畝(うね)へ隠し加減で捨てられていた(写真参照)。しかし、この興味深い矛盾も捜査当局は全く追及していない。
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【狭山事件公判調書第二審4328丁〜】
第七十五回公判調書
裁判長=「弁護人の方で、スコップの発見状況について問題にされていた疑義というのは、ひと口に言うとどういうことになるのですか」
橋本弁護人=「自白によりますと、スコップを畑の中に投げ捨てたということになっておりますが、福島英次の実況見分調書に添付の写真では、スコップは麦畑の中にきちんと置かれたようになっている、そのことであります」
主任弁護人=「弁護人の、昭和四十九年五月二十一日付事実取調請求書記載の提出命令の申立てはすべて撤回します」
大槻検事=「ネガフィルムを現物で見ると非常に見にくいので、裁判所にご覧いただく便宜のため、ベタ焼きをアルバム類似の形式で順に貼って、後刻裁判所へお届けします」
裁判長=「検察官の本日付証拠調請求の番号1ないし3の書面の取調請求について弁護人のご意見はどうですか」
主任弁護人=「全部同意します」
裁判長=「検察官の昭和四十九年五月二十一日付および同年同月二十二日付各釈明書については、これでいいでしょうか」
主任弁護人=「五月二十二日付釈明書のうち(1)で、「・・・右地下足袋は本件現場足跡といわれる石膏型足跡のいずれとも符合しないことが判明した」とありますが、その資料は何であるか検察官のご説明を求めます」
大槻検事=「資料というと、書類という意味ですか」
主任弁護人=「そうです」
大槻検事=「そういうものは無いようです」
主任弁護人=「すると、検察官は何によってこの事実を確認されたのですか」
大槻検事=「現実に比較対照したという人から私が直接聞いたのです。その比較対照したという人は、元警察技師の関根政一氏で、同人が自ら比較対照したということであり、同人の記憶では符合しなかったということです」
主任弁護人=「するとこういうことですか、つまり、第七十四回公判で提出の地下足袋は、大槻検察官が、関根政一氏に確かめたところ、同人は、自ら比較対照した結果は符合しないことが明らかであったという記憶であるが、その比較対照した書類などは現在のところ見つからない、ということですか」
大槻検事=「関根氏の話によると、恐らく書類などは作らなかったかも知れない、というのは警察捜査のそういう実務のあり方として、書類を作ることは一般的に望ましいかも知れないが、全然違うものについてまで一々記録を作ることは煩に堪えない(注:1)し、そういう事では仕事にならない、ということのようです」
裁判長=「弁護人請求の被告人質問ですが、主質問の予定時間はどのくらいですか」
青木弁護人=「二時間くらい・・・、あるいは三時間かかると思います」
裁判長=「本日質問されますか」
青木弁護人=「はい。本日、直ちに質問したいと思います」
裁判長=「被告人質問の請求に対する検察官のご意見はどうですか」
大槻検事=「然るべくご決定願います」
裁判長=「それでは、弁護人の、被告人質問の請求を採用して直ちに実施します」
以下余白
注:1「煩に堪えない(はんにたえない)」=わずらわしい。
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