【狭山事件公判調書第二審4248-49丁〜】
『意見書』
東京高等検察庁 検事 大槻一雄
昭和四十九年二月七日
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二 さらに、被告人は当審における供述の中で、原審においても終始自白を維持した理由として、基本的には長谷部梅吉から、自白をすれば十年で出してやると言われてその旨を約束したことが念頭にあり、それを信じていたので早く刑を勤めて出して貰おうと思ったからであり、浦和の拘置所へ来てから森脇という職員が黒い本を見せてそれを読みながら併せて何年とか言ったので、そのことと思い併せても長谷部が十年で出してやると言った話は本当であると思った、また浦和の拘置所の教育課長が公判へ行くたびに、一から十まで勘定しろ、そうすれば大丈夫十年で出られると言ったので、被告人はその言を信じ原審の公判廷に出ても常に一から十まで数の勘定をしていたため、原審公判でどういうことが調べられているのかあまり分からなかった、原審で最後に死刑の判決言い渡しを受けた時も、死刑だと言われたことを覚えているが、十年くらいで出られるという気持ちに変わりなかった旨供述しているが、右の如き供述がその内容自体に徴しても到底措信できないものであることは多言を要しないところである。
ただ、若干付言すれば被告人が長谷部梅吉から、自白すれば十年で出してやると言われたことを信用したという点が措信できないことはすでに述べたとおりで、ここでは繰り返すことを避けるが、被告人がもし死刑になったら野球のユニホームを棺の中へ入れてくれという趣旨のことを言ったという当審証人=関源三の供述を、第二十九回公判における裁判長の質問に対して被告人は自認しており、そのことからしても被告人が自白後、死刑になるかも知れないことを予期していたことが明らかであり、また、被告人が原審第六回公判において、証人=水村成子の尋問が行なわれた際、東島明に又貸ししたオートバイの修理費のことに関して同証人に被告人自ら尋問していること、被告人は原審第七回、第八回、第九回、第十回の各公判期日において被告人質問が行なわれた時、いずれも質問に応じて明確且つ適切な供述をしていることに徴すれば、被告人が原審公判廷においては常時、一から十までの数の勘定をしていたため、原審公判でどういうことが調べられているのかあまり分からなかったという被告人の前記当審供述が措信できないことはまことに明らかである。
被告人が捜査段階で自白をした後、原審公判においても終始その自白を維持していたことは、原判決もいうように、特段の事情がない限りその自白を信用すべき基本的な条件の一つであると思料されるが、当審における被告人の供述に照らしても、自白の信用性を否定すべき特段の事情は遂にこれを見出すことができないのである。
(次回、"三"へ続く)