


【狭山事件公判調書第二審4248-30丁〜】
『意見書』
東京高等検察庁 検事 大槻一雄
昭和四十九年二月七日
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(前回の続き)しかしながら、被害者=善枝は、いかに人物がしっかりしていたとは云え、本件当日、漸(ようや)く十六才の誕生日を迎えたばかりの乙女で、いわば子供から漸く大人になりかけた年頃であっただけに、なお、情緒不安定、思慮未熟の節があったとしても何ら怪しむに当たらないところであって、右のような恐らく予期もしなかったであろう異常な事態に突如として遭遇したため、昼間ではあったが、たまたま近くに救いを求められるような人影もなく、また高校入学後間もないことでもあり、新しい学用品等の入っている鞄を結え付けてあった自転車の荷台を被告人に押さえられたため、逃げるに逃げられず、畏怖心に駆られて蛇に睨まれた小鳥のように為す術もなく、いわば金縛りのような状態で、被告人の云うところに従ったことが、被告人の司法警察員並びに検察官調書によって十分首肯できるので、弁護人の前記主張は失当であって理由がないと思料する。
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第七 自白と死体の状況
一 弁護人は、上田政雄作成の鑑定書を援用して、被害者が殺害された状況は被告人が自白しているような方法で行なわれたものではない、また、被害者が姦淫された時期、状況も被告人の自白するところとは符合しない、被害者の死体に見られる死斑の状況や後頭部裂傷に伴う出血の程度、状況および足首に索溝の跡が認められないところから、被告人が自白するような芋穴での死体の逆さ吊りはあり得ない、死後の経過時間、胃の内容物の消化程度などからみて、被害者が被告人の自白するような時間的経過によって犯行が行なわれたものであるかどうかに多大な疑問があり、被告人の自白は、右の諸点において客観的状況と相違するから自白には信用性がないと主張する。
しかしながら、右主張が失当であって理由のないことは、すでに提出した検察官の昭和四十七年五月十日付『事実取調請求に対する意見』と題する書面、一丁ないし三丁の記載並びに、第六十五回公判調書記載の上田政雄鑑定書に対する検事の意見において、明白に指摘したとおりである。
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二 さらに弁護人は、被害者の死体の腹部並びに左右下肢に認められる死後損傷の線状擦過痕は、原審記録中の鑑定人=五十嵐勝爾作成の鑑定書によれば死後、死体が引きずられたものと推測されるのに、被告人の自白調書には死体を引きずったという供述は全くなく、右のような、死体に客観的に認められる状況に触れない自白には信用性がないと主張する。
被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述調書中、被告人が死体を引きずったという供述のないことは所論のとおりであるが、本件事案の内容から推測し得ることは、右線状擦過痕の生じた原因は、被告人が被害者を殺害後、農道へ埋没するまでの間のいずれかの時点、いずれかの場所で死体を引きずったか、あるいは死体を芋穴へ入れたり出したりした際、芋穴の側壁等に死体が擦れて生じたかのいずれかであると思料される。なお、被害者の死体が引きずられたと思われる客観的な状況にあったことは、原審記録中にある司法警察員=大野喜平作成の実況見分調書中、『服の長さは〇・五七米、袖の長さは〇・五〇米で、地面を引きずった形跡が認められた』という記載のあること(原審記録五六四丁)およびそのことに関する当審証人=大野喜平の第四十四回公判における供述に徴しても明らかである。
しかしながら、被告人がそのことについて供述していない以上、結局、右線状擦過痕が生ずるに至った具体的状況は、いずれとも決し難いと言うほかない。
被告人が捜査段階での取調べに際しそのことを供述しなかったのは、強いて推測すれば、被害者を殺害し死体を埋没するまでの間に、実際は死体を引きずったことがあってそのことを認識していたが、そのことを供述することによって生ずる情状面の不利益を考慮してこれを秘匿したか、さもなければ、芋穴へ死体を入れたり出したりする際、薄暮(注:1)または夜間のことでもあり、且つ忽々(注:2)の間の出来事であったので、被告人としては右線状擦過痕の存在それ自体を認識しなかったものとも考える余地がある。
しかし、いずれにしても被告人の捜査段階における供述中、右線状擦過痕の存在あるいはそれが生じた原因たる行為についての供述がないということのみを理由に、被告人の供述の他の部分も、当然に信用性がないとすることは論理の飛躍であり、相当ではないと思料する。
(続く)
注:1「薄暮(はくぼ)」=日没後の黄昏を指す。一般的には、日没後の太陽が地平線より六度程度下にある時間帯である。
注:2「忽々(そうそう・こつこつ・そこそこ)」=この言葉は、いくつかの意味を持つが、今回の場合には『非常に短い時間』『たちまち』との解釈が適当と思われる。・・・自信はないが。