アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1415

狭山事件公判調書第二審4248-24丁〜】

                                     『意見書』

                    東京高等検察庁  検事  大槻一雄  

                                                        昭和四十九年二月七日

                                            *

   三   つぎに、五月一日の被害者=善枝の下校時刻は、原審証人=中根敏子の供述により、同日午後三時二十三分頃と認定するのが相当である。もっとも、当審証人=鎌田芳子、同=若狭良江の供述(昭和四十七年八月十五日公判期日外証人尋問書)によれば、五月一日、被害者=善枝は、学友らに対して当日は自分の誕生日であるから早く帰宅したい旨話しており、当日、授業が終わると直ぐ下校したかのように言うのであるが、中根敏子の原審証言と比較すれば具体性を欠き、到底措信(注:1)できないものと思料され、その他、当審における審理の結果に徴しても、右認定を左右するに足る証拠はないと思料する。ところで、被害者=善枝は下校後、学校から程近い狭山郵便局に立ち寄って前記領収書を受領しているのであるから、その間の事務手続きの時間等も若干考慮すれば、被害者=善枝が右郵便局から出て帰途に就いたのは当日午後三時三十分頃と推認できるのである。したがって、被害者=善枝がその犯人と出会ったであろう時刻が、少なくとも当日午後三時三十分以降であることは確かである。

                                            *

   四   弁護人は、五月一日、被告人は荒神様(三柱神社)のところを通っていないと主張し、被告人もまた当審でこれに副(そ)う供述をしている。

   弁護人が右主張の理由とするところは、当日右神社の祭礼の日であり、流行歌のレコードが大きくスピーカーで流されていた事実があるのに、被告人は検察官の取調べに際し、「レコードがかかって流行歌等歌っていたのではないか」と質問されても「それは聞きませんでした」と供述しているということである。

   確かに、所論指摘の野口清之丞の司法警察員に対する供述調書等によれば、同神社で祭礼気分を盛り上げるため流行歌のレコードをスピーカーで流したという事実はあったようであるが、比較的小規模の祭礼であり、ひっきりなしに参詣人が通るというほどではなく、そういう状況の中でも、人出の多いのは、午後三時頃までであることが右証拠によって窺われるので、被告人が同神社の前を通った際はたまたまレコードをかけるのを一時中止していたというようなことも当然考え得る余地があるので、少なくとも右の一事によって、本件当日被告人が同神社の前を通らなかったとは容易く断定できないものと思料する。

                                            * 

   五   つぎに、弁護人は、当審証人=横山ハル、同=横田権太郎が、本件当日である五月一日の午後、自白によれば被告人が被害者を連れて通ったという道の付近で畑仕事をしており、特に横田ハルは、まさにその道にダイハツの自動車を停めて長男と一緒に桑畑の手入れをしていたことが、右証人らの供述によって明らかであるので、仮にもし被告人が自白どおりに被害者をつかまえ連行したものとすれば、被告人はその人たちや車を見ていたはずであり、そのことを述べたに違いないと思われるにも拘(かかわ)らず、自白調書には逆に「近所には人が居なかった」「近所には誰も居なかった」「その場所の付近は畑や山で人通りもなく淋しい所で」等々と繰り返し供述しているのは被告人がその日この場所を通らなかったことの証左で、この点でも被告人の自白は客観的事実に反し、信用性がないと主張している。

   そこでまず、証人=横山ハルの供述並びに当審第七回検証調書添付の見取図によれば、横山ハルが本件当日の午後、長男とともに桑畑の手入れをしていたという場所は、まさに所論のとおり自白によれば被告人が被害者を連行して通ったという道路の西側にある。道路に接した桑畑であり、同人等がダイハツの自動車を駐車しておいたという場所は、右道路東側にある交差道路の角付近で、本件当時の桑の木の繁り具合等を考慮しても、もし横山ハル等が畑仕事に従事していた際、右道路を通れば、恐らく通行者において右同人等の姿や駐車中の右自動車の存在に気がつくであろうと思われる状況にあったことは首肯(注:2)できる。

   しかしながら証人=横山ハルの供述によれば、同女が長男とともに、本件当日、右桑畑へ赴いたのは午後一時前後頃で、草かきの仕事をしているうち、約一時間くらい経ったと思われる頃、雨が降って来たので間もなくそこを引き揚げて帰宅した。帰宅時刻は正確には判らないが、帰宅後お茶を飲んだ記憶があり、すぐ夕飯という時刻ではなかったかというのであり、一方、航空自衛隊入間基地司令=中村雅朗作成名義の気象状況について(回答)と題する書面によれば、同日の入間基地付近の天気概況は曇りのち雨で、最初の降雨が始まった時刻は十四時〇二分であることが認められ、右横山ハルが畑仕事中、雨が降って来たという供述はまさに右降雨時刻に符合することが明らかであるから、横山ハルが長男とともに当日右桑畑を引き揚げて帰宅したのは右降雨開始後間もなくと認定するのが相当であると思料する。

   してみれば、前記のように、被害者=善枝と犯人との出会いは、午後三時三十分以降であるから、自白のような経緯状況のもとに被告人が被害者を連行してその道を通行したとしても、その時点では、すでに横山ハルやその長男は帰宅しており、同人等の乗ってきた前記自動車も右道路付近にはないことが明らかである。

   また、証人=横田権太郎の供述並びに当審第七回検証調書添付の見取図によれば、横田権太郎が当日午後、息子夫妻とともに最初に畑仕事をしていたという場所は、自白によれば被告人が被害者を連行して通ったという道路から東方へ一四五米離れた、南北に通ずる道路に接して西側にあるかぼちゃ畑であり、本件当時は右かぼちゃ畑から被告人が被害者とともに通ったという道路を見ようと思えば見える位置関係にあったものと言うことはできよう。

   しかしながら、証人=横田権太郎の供述によれば、同人が息子夫妻とともに右かぼちゃ畑へ赴いたのが午後一時頃で、途中降雨にも拘らず作業を続行し、普通ならば約二時間くらいかかる仕事を急いで行ない、時間はよく判らないが午後三時頃までそこで作業をし、それからさらに同所から五〇〇米東方にある畑へ移動し午後五時頃まで引き続き作業を行なったというのであって、右供述によっても、横田権太郎らが最初のかぼちゃ畑で畑仕事に従事したのは午後三時過ぎ頃までであり、遅くとも午後三時三十分頃には第二の作業場所へ移動しているものと推認できるのである。

   しかも、証人=横田権太郎の供述によると右畑仕事中は、屈んで仕事をしているというのであるから、午後三時三十分以降の時点で、自白によれば被告人が被害者を連行したという道路から少なくとも約六五〇米も離れた畑で、屈み込んで仕事をしている農耕者の姿を右道路の通行者がたまたま認識しなかったとしても何ら異とするに当たらないのである。

   結局、証人=横山ハル、同=横田権太郎の供述をもってしても、出会い地点についての被告人の自白を何ら左右するものではない。

(続く)

                                            *

注:1「措信(そしん)」=信用する。信用できる。

注:2「首肯(しゅこう)」=うなづくこと。もっともだと納得し認めること。