
【狭山事件公判調書第二審4248-22丁〜】
『意見書』
東京高等検察庁 検事 大槻一雄
昭和四十九年二月七日
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第四 被告人の自白日時と自白調書
被告人、弁護人は、被告人が本件強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂の事実を司法警察員に自白した時期について、供述調書の日付によれば六月二十日に最初の三人犯行の自白がなされ、六月二十三日に単独犯行の自白がなされたように供述調書が作成されているが、真実は六月二十三日頃が最初の三人犯行の自白時期であり、それから三日くらい経て同月二十六日頃が単独犯行の自白時期であって、司法警察員作成の自白調書は実際に被告人が自白した時期と日付が異なっているという趣旨の主張をしているが、右主張が失当であって理由のないことは、すでに検察官が昭和四十五年六月十七日付事実取調請求に対する意見書一丁ないし七丁(注:1)にわたって述べたとおりである。
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第五 自白と証拠物の鞄、万年筆、時計の発見関係
被害者=中田善枝の所持品であった証拠物の鞄、万年筆、時計の内、まず鞄が、被告人の六月二十一日の自白に基づく捜索の結果、同日、狭山市入間川中向沢一二七九番地の溝から発見、押収されたこと、次いで万年筆は、六月二十四日の被告人の自白に基づき同月二十六日、被告人の自宅を捜索の結果、その自供のとおり勝手場出入口の鴨居から発見されて押収されたこと、時計は、被告人が五月十一日頃、狭山市田中地内の道路上にこれを捨てた旨を六月二十四日に自供した後、警察官が六月二十九、三十の両日にわたって現場付近を捜索し、聞込みを行なったが発見に至らなかったところ、七月二日、付近の住民である小川松五郎が狭山市入間川四七九番地先の道路端の茶株の根元に捨てられていたのを通行中たまたま発見して届け出た結果、押収されるに至ったものであることが、関係証拠に徴して明らかである。
弁護人は原審以来、これら物証の発見経過には種々疑問があると主張し、被告人も当審においてこれに副う供述をしているが、これらの主張が失当であって理由のないことはすでに原判決が詳細にわたって判示するとおりであり、さらにこの点についての検察官の意見は昭和四十五年六月十七日付事実取調請求に対する意見書八丁ないし十八丁(注:2)にわたって述べたとおりである。
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第六 自白と被害者との出会い地点
一 被告人が、本件当日の五月一日に被害者=善枝と最初に出会ったのは、荒神様(三柱神社)の方から加佐志街道を東の方に行った山学校より一つ手前の十字路付近であるという被告人の司法警察員並びに検察官に対する供述は、当審の審理の経過に徴しても、これを肯認するのが相当であると思料する。
しかるに弁護人は、被告人の捜査段階における右供述は、客観的事実に反するとし、延(ひ)いては、被告人の右供述が取調官の不当な誘導によるものであるかのように主張する。
二 そこで、検討すると、当審証人=中田健治の第六十回公判における供述によれば、被害者=中田善枝の川越高校入間川分校への通学路は、通常、自宅から権現橋、佐野屋の脇、薬研坂を通り、狭山精密前、さらに入間川四丁目を通って学校に行く道順を往復することになっていたというのであるが、被害者=善枝が本件当日である五月一日下校後、被害にあうまでの間に実際にはどういう行動経路を経たかについては当審の審理の結果に徴してもなお明らかでない。
ただ、被害者=善枝の死体とともに発見され、押収されている雑部金領収書乙一枚(東京高裁昭和四一年押第一八七号符号一四号)の存在と原審証人=宇賀神敏枝の供述を総合すれば、被害者=善枝は、右領収書を受領するため、下校後、狭山郵便局に立ち寄ったことが肯認できるに過ぎない。しかしながら、平素の通学路が右のとおりであるとしても、被害者=善枝が本件当日何らかの事情で、例えば下校の途次(注:3)、荒神様のお祭り(本件当日)の模様を見物しようというような意図があったというようなことから平素の通学路と異なる加佐志街道を通ることも十分考えられるところであるから、被告人の自白する被害者との出会い地点が平素の通学路と異なるコースにあることを理由として直ちに自白の信憑性がないとする主張は早計に失するものというべきである。
(続く)
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◯注:1および2は、拙ブログ「狭山の黒い闇に触れる」の580から始まる検察官意見書に含まれているはずである。コピペしてこの場に貼ろうと思ったが、もうすでに泥酔状態に突入しておりそれは断念することとなった。
注:3「途次(とじ)」=途中。みちすがら。
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◯検察官は、被害者=善枝が事件当日である五月一日下校後、被害にあうまでの間に実際にはどういう行動経路を経たかについては当審の審理の結果に徴してもなお明らかでないとし、彼女が当日何らかの事情で、例えば荒神様のお祭り(本件当日)の模様を見物しようというような意図があったというようなことから平素の通学路と異なる加佐志街道を通ることも十分考えられるところである、と言うが、行動経路が判明していないのに、なぜ被害者=善枝が荒神様の祭りを見物しに向かったかも知れぬと言い得ることができるのかが不思議である。