【狭山事件公判調書第二審4248-6丁〜】
『意見書』
東京高等検察庁 検事 大槻一雄
昭和四十九年二月七日
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四 すでに証拠上、明らかなとおり、昭和三十八年五月一日から同月三日までの間に先ず、別件の恐喝未遂事件が発見し、翌四日、被害者中田善枝の死体が発見されたことによって本件が発覚したのであって、前者の脅迫文の内容に照らせば、恐喝未遂事件と本件とは極めて密接な関連性があることが容易に推認できる状況にあった。
そこで、当審における審理の結果、とくに当審証人=将田政二(第二回公判)、同=中勲(第三十九回公判、第四十三回公判)、等の供述によると、第一次逮捕・勾留に至るまでの経緯の概要はつぎのとおりである。
すなわち、事件発生後、警察は五月三日、狭山市堀兼の現地に特別捜査本部を設け、五月四日、被害者の死体が発見されてからは、強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件として本格的な捜査を開始し、地元を中心とした聞込み捜査を実施した過程において、五月六日頃、地元の養豚業者である石田一義所有の豚舎から飼料撹拌用のスコップ一丁が事件発生当日の五月一日夕方から翌二日朝までの間に盗難にあったことが判明する一方、その後間もなく、右スコップが五月十一日に、被害者の死体埋没箇所からほど近い麦畑に遺留されているのが発見され、そのスコップに付着している土を鑑定した結果、それが死体埋没箇所の土と同質のものであることが判明したため、右スコップが被害者の死体を埋める際に使用されたものであると推認されるに至った。
ところで、このスコップの所在を知り、これを夜間、周囲の者に察知されないで持ち出すことが出来る者は、石田方家族、その使用人ないし元使用人であった者、その他、石田方へ平素出入りしている者に限られると推認されるような状況が窺われたため、それらの者につき、本件発生当時の行動状況、血液型、筆跡などを重点的に捜査した結果、被告人の事件当時のアリバイがはっきりしないこと、被害者の膣内精液から検出された血液型はB型であったが、被告人の血液型もこれに符号すること、脅迫状の筆跡が被告人の筆跡と同一と認められたことなどが主たる理由で、元石田方使用人である被告人がいわゆる有力な容疑者として捜査線上に浮かび、第一次逮捕・勾留が行なわれたことが認められる。
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事件発生当時の石田養豚場。

養豚場の不老川沿いの土手付近に置かれていたスコップ。この写真のスコップが持ち去られたものかどうかは不明。


発見されたスコップと同種のもの。

スコップが発見された時の状態。

上に同じ。
スコップは死体発見現場から百五十メートルも離れていない麦畑の中で発見されるが、この周辺は連日のしらみつぶしによる捜索がなされた一帯である。かなりの集中力を発揮し、山狩りに従事した方々は、果たしてこのような重要な物を見逃していたのかどうか。