アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1402

◯さて、師岡祐行が「暴論」と切り捨てた大槻検事意見陳述の続きを見てみよう。

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狭山事件公判調書第二審4248-4丁〜】

                                     『意見書』

                    東京高等検察庁  検事  大槻一雄

                                                        昭和四十九年二月七日

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第一  本件逮捕・勾留の適法性と自白の任意性

    一   被告人に対する本件の逮捕・勾留は、当審の審理の経過に徴しても(注:1)、それが違法または不当に亘(わた)るものではなく、また、本件の逮捕・勾留中に作成された被告人の強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂の事実に関する司法警察員および検察官に対する供述調書は、いずれもその供述が任意に為されたことが明らかであるから、右調書の証拠としての許容性ならびに供述の任意性には、何等欠けるところがないものと思料する。

   二   弁護人が、本件の逮捕・勾留を違法であると主張する理由は、つぎのとおりである。

   すなわち、被告人は昭和三十八年五月二十三日、窃盗、暴行、恐喝未遂という三つの被疑事実に基づく逮捕状により逮捕され、同月二十五日、右被疑事実に基づく勾留状によって勾留され、右勾留は同年六月十三日まで延長された(第一次逮捕・勾留)が、この第一次逮捕・勾留をした捜査機関の意図は、当初からこの逮捕・勾留を利用して、事件の本筋ともいうべき強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄の事実につき、被告人を取調べてその自白を得ようということにあったもので、第一次逮捕・勾留は本件について、被告人の自白を得るための単なる名目ないし手段に過ぎず、第一次逮捕・勾留の被告人の取調べも、本件についての自白追及に終始し、その逮捕・勾留の基礎となった前記の被疑事実(別件)については極めて簡単な取調べが形式的に行なわれたにとどまり、その逮捕・勾留期間の大半が本件の取調べに充てられたものである。さらにその後、被告人は同年六月十七日、本件に基づく逮捕状により逮捕され、同月二十日、本件に基づく勾留状により勾留され、右勾留は同年七月九日まで延長された(第二次逮捕・勾留)が、この第二次逮捕・勾留の理由と必要を疏明(そめい)し得る程度の資料は、すでに第一次逮捕・勾留当時に存したものというべきで、もし、捜査機関が本件の取調べを目的として被告人の身柄を拘束したいというのであれば、当初から本件につき令状を求めて逮捕・勾留をし、さらに刑事訴訟法上許容されるような同一事実についての再逮捕、再勾留の理由と必要があるならば、宜しく所定の手続きに従って事を処理すべきであったのに、第一次逮捕・勾留にあたっては、窃盗・暴行などという本来は起訴に値しないような被疑事実を掲げ、実質的には本件の一部とも見られる恐喝未遂の被疑事実をこれに付加して令状を請求したもので、前記のような第一次逮捕・勾留に引き続いて行なわれた第二次逮捕・勾留は、実質的には本件に基づく二重の逮捕・勾留というべきである。右のような実体を有する逮捕・勾留は、憲法十三条、三十四条、三十八条およびこれに基づく刑事訴訟法の逮捕・勾留に関する厳格な手続的、時間的制約を定めた諸規定に違背(注:2)するものというべきであるから、本件の逮捕・勾留はすべて違法、不当なものであり、したがって、その期間中に作成された被告人の前記供述調書はすべて違法なものであって証拠としての許容性がなく、その供述の任意性も法律上当然に否定されるべきものである、というのである。

   また、弁護人および被告人は、右の事由とは別に、被告人の右供述は捜査機関の偽計、脅迫、暴行等によって為されたものであるから、この点からも、右供述調書は証拠能力を否定されるべきものであると主張する。

   三   しかしながら、先ず捜査機関が、被告人に対する第一次逮捕・勾留を別件に基づいて行なったのは、当時の時点において、まさに別件そのものを取調べることが当面の目的であり、必要であると判断したからであって、決して本件の取調べのための単なる手段ないしは名目というようなものでなかったことは、当審の審理の結果に徴して明らかにされたもの思料する。

   そのことは、本件事案の発生経過、とくに本件と別件のうちの恐喝未遂との関係、第一次逮捕・勾留に至るまでの恐喝未遂を含めての捜査経過、第一次逮捕・勾留が行なわれた時点における捜査機関の抱いた被告人に対する主観的嫌疑の程度などを総合すれば、自ら明らかである。(続く)

 

注:1「徴(ちょう)しても」=照らし合わせても。

注:2 「違背(いはい)」=命令・規則・約定にそむくこと。

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   ◯検事=大槻一雄が弁護側に対し意見を述べていたこの時期、法廷外では支援団体らによる騒々しい動きが活発化していた。日本共産党新左翼セクト間の対立である。※セクト=一つの組織内で、主張を同じくする者の分派。宗派。党派。学派。「-主義」

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    新左翼セクトの多くは、狭山闘争を沖縄闘争や三里塚闘争と並ぶ重要な闘争と位置づけた。とりわけ解放同盟は狭山闘争を重視し、行進や署名運動などを盛んに行なった。そして、いわゆる「解放教育」でも、狭山事件を差別裁判であるとする内容が盛り込まれるようになっていった。解放子ども会や一部の学校などでは「差別裁判うち砕こう」の歌の授業や、「狭山同盟休校」(授業ボイコット)などが盛んに行なわれた。

    こういった形態での「狭山闘争」を、日本共産党などは「狭山妄動」として激しく非難した。全解連の機関紙「解放の道」によると、昭和四十五年七月、朝田善之助は水上温泉における部落解放全国青年集会(全青)で、「証拠調べなぞいらん、差別性を明らかにしてやればよい」と放言したこともあったという。

    一方、日本共産党は昭和五十二年、『赤旗』において日本共産党中央部落対策委員会の田井中一郎名義で見解を発表し、「解放同盟が支援活動を混乱させてしまった」と強く非難した。さらに田井中は、「かれら(部落解放同盟)の論法でいくなら、部落住民に関する事件は、真犯人であろうとなかろうと、すべてが"部落差別"を基礎とする"差別裁判"ということになるのである。しかも、かれらは"差別裁判"だと決めつけることによって"石川青年の即時釈放"を要求し、かれらに同調しない者や、証拠に基づく公正な裁判を要求して闘っていた人たちまで"差別裁判"の加担者だと攻撃した。これが、部落住民なら、どんな犯罪を犯しても裁判を受けたり、罰せられたりすべきではないとする、きわめて反社会的な主張であることは明らかである。

    もともと、ある裁判の基本性格を"差別裁判"と断定するには捜査、起訴、審理、判決という訴訟の過程に、ことさら差別観念をあおったり、未解放部落住民であることを最大の理由として処罰するなどの明確な事実がなければならないが、"狭山裁判"をそうしたものと断定する根拠はないのである。

    また"解同"はこの事件自体があたかも"部落解放運動"への弾圧事件だったかのように見せかけている。だが"狭山事件"は、松川事件のような政治的背景のある謀略事件と全く性格が違い、石川被告は、事件当時、部落解放運動とは何の関わりももっておらず、警察や検察当局がこの事件から部落解放運動の組織や活動の弾圧に進むということもなかったのである」と主張し、狭山裁判の背景に差別があったことを疑った。

    新左翼部落解放同盟との結託は、部落解放同盟日本共産党との対立を激化させる原因のひとつとなったが、この新左翼陣営の内部でも中核派・ブント系・社青同解放派・民学同の間で主導権争いが激しさを増していった。

    もはや治療不可能な人々によるこの騒ぎは、間接的に狭山再審請求にも黒く重い影を落としてはいないだろうか。