アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1401

◯「『狭山・虚構の判決』狭山事件弁護団上告趣意書より:師岡祐行 編著 =新泉社」によれば、今回から引用する文章は狭山事件・第七十二回公判にあたり、この大槻検事意見陳述に対し、「(1)別件逮捕は正当、(2)自白は任意、誘導脅迫なし、(3)六つの鑑定書への反論なし、など暴論を展開」と表現している。ではその「暴論」に目を通してみよう。

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狭山事件公判調書第二審4248-2丁〜】

                                     『意見書』

                    東京高等検察庁  検事  大槻一雄

                                                        昭和四十九年二月七日

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                                          目次

    はじめに

    第一    本件逮捕、勾留の適法性と自白の任意性

    第二    脅迫状の筆跡

    第三    現場の足跡

    第四    被告人の自白日時と自白調書

    第五    自白と証拠物の鞄、万年筆、時計の発見関係

    第六    自白と被害者との出会い地点

    第七    自白と死体の状況

    第八    自白と証拠物の荒縄、木綿細引紐の関係

    第九    自白と玉石、棍棒並びに死体埋没に際しての残土との関係

    第十    自白と脅迫状の作成状況

    第十一 被告人の当審供述の信用性

    おわりに

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    はじめに

    本件は、記録上明らかなように、被告人が昭和三十八年六月二十日、いわゆる三人共犯説の自白をしてから、翌二十一日にはその自白に基づいて被害品の鞄が発見され、同月二十三日に単独犯行の自白をしてから、同月二十四日の自白に基づいて同月二十六日には被害品の万年筆が被告人の自宅から発見されるなど、被告人の自白によっていわゆる決め手となる証拠物が発見され、脅迫状の筆跡、現場足跡の鑑定結果など自白を裏付ける極めて客観性の高い証拠の存在と相俟って、右自白の信用性は十分であると認められる状況にあった。そのためか、被告人の自白はその後、公訴を提起される迄の間はもとより、原審公判においても終始維持されていたが、当審の公判が開始されるに至って被告人は、にわかに全面否認に転ずるに至ったものである。一方、弁護人は、被告人の自白にも関わらず、原審以来、被告人の自白調書の許容性や信用性を争い、控訴趣意においても同様な論旨を展開していたが、当審において、被告人が全面否認の態度に転じてからは、さらに被告人の否認供述の線に副(そ)って、検察官がいわゆる決め手の証拠物と主張する鞄、万年筆などは被告人の自白に基づいて初めて発見されたものでもないし、脅迫状や犯人の遺留したものと認められる現場足跡と被告人との結びつきについても科学的証明がないとか、現場足跡は偽造されたと極論するなど、あらゆる角度から激しく捜査の欠陥を非難、攻撃し、事実を争ってきたのである。

    しかしながら、被告人、弁護人の非難や主張の大半は、被告人の自白調書の片言集句をとらえて、これが致命的欠陥であるかの如く攻撃し、あるいは独自の前提や推測の上に立って証拠を曲解するなど、畢竟(注:1)、独自の見解を強弁するに過ぎないもので、主な争点については、随時、検察官から意見を陳述していることでもあり、今ここで改めて逐一反駁する必要もないと思料するが、なお、今次公判手続更新に至る当審の審理の経過に鑑み、弁護人等が争っている主要な問題点を重点的に取り上げ、これについて、つぎに意見を述べることとする。

(続く)

注:1「畢竟(ひっきょう)」=つまるところ。結局。

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◯ところで、この狭山事件から差別問題を取り除き、単なる強盗強姦、強盗殺人、死体遺棄、恐喝未遂事件としてその冤罪性を訴えていたならば、弁護団の不惜身命なる行動により石川被告の無実を証明する強力な材料は集められていたのであり、早期に再審開始へこぎつけた可能性は高いと思われる。ところが、これを阻む出来事が狭山事件裁判の側面に存在し、再審開始への大きな障害物として未だそれは残っている。

   テロと呼んでも差し支えないその大きな障害物となった事実をここへいくつか挙げておこう。

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◯1969年11月4日、中核派が「狭山差別裁判糾弾」と称して浦和地裁を占拠。地裁に火炎瓶を投げ込む。

◯1974年夏、東京都新宿区市谷富久町の、寺尾正二判事が住む法務省官舎に空気銃が撃ち込まれる

◯1974年10月27日22時頃、東京都新宿区市谷富久町の、寺尾正二判事が住む法務省官舎東側の塀に爆竹が仕掛けられる。寺尾への嫌がらせと見られた

◯1974年9月29日、石川一雄有罪に抗議して社青同解放派が東京高裁長官室乱入事件を起こす。

◯1976年9月17日、石川一雄有罪に抗議して社青同解放派が東京高裁判事襲撃事件を起こす。同年9月26日、社青同解放派が集会の席上「革命的人民により、反革命裁判官寺尾に報復の鉄槌が下った」と声明を発表。

◯1977年8月23日、中核派狭山事件担当の最高裁調査官新矢悦二の松戸市の自宅に時限式爆燃物を仕掛け、杉並駐在所ならびに狭山市・西宮市・広島市の派出所に放火。

◯1977年9月、石川一雄在監中の東京拘置所無人の火炎自動車が突入。

◯1979年10月30日、革労協が10.31狭山集会の前段闘争として検察庁合同庁舎へ火炎放射器でゲリラ攻撃をおこなう。

◯1990年10月、判事として狭山事件一審を担当した内田武文弁護士の厚木市の自宅が放火され、雨戸などが焼かれる。

◯1994年3月4日、東京高裁判事として狭山裁判第2次再審請求の審理に関わった近藤和義の自宅に革労協狭間派が金属弾を撃ち込む。革労協狭間派の機関紙『解放』(1994年3月15日付)が「第二次再審棄却を策謀せんとすることに対しての革命的鉄槌」との犯行声明を発表・・・・。

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    日本社会に一定数生息する、ごく僅かな一部の、こういった反乱分子が起こした劣業が狭山事件の再審開始に歯止めをかけていることは間違いないと思われる。