アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1400

狭山事件公判調書第二審4244丁〜】

                                        まとめ 

                      捜査を批判し、無罪の判決を

                                                                弁護人=中田直人

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    (五)

    各弁護人の意見は、これまでの審理をあとづけ、すべての証拠に適正な批判を加えながら進められた。

    被告人は無実であり、本件は作りあげられた冤罪事件であることが、すでに十分明らかとなっている。

    今再開されようとしている第三段階の審理は、事実と客観的証拠が明らかにしてきたこれまでの成果を不動のものとし、被告人は無罪という唯一つの結論に向けられなければならない。

    三つのことを指摘しておく必要がある。

    第一は、裁判所の構成の大きな変更を伴った二度の弁論更新が、実は一旦結審し、または結審時期を明示しながら、久永裁判長のときは筆圧痕問題で、井波裁判長のときは死体に関する上田鑑定書の出現で、共に提起された問題の解明なくして審理を終結し得ないことが明白になった結果であるということである。

    いずれの場合も結審を明らかにしていた以上、当時の裁判所としては一定の心証を形成し終わっていたことになるであろう。その心証が如何なる方向のものであったかをここで問う必要はない。筆圧痕問題にせよ、上田鑑定書にせよ、その心証形成に重大な影響を与えずにはおかない性質のものであったことだけは確実である。そしてそれは、自白が作られたものであることを、自白が虚偽であることをよりいっそう疑わせるものに他ならなかった。つまり、審理の発展はただ被告人の無実を明らかにして行く方向でのみ、一つひとつの新しい段階を迎えたのである。

    第二は、当審審理において、検察官は、本来自らに課せられた、公訴事実を証拠によって証明すべき責任につき、何らの努力をもしなかったということである。検察官は、弁護人の立証に反対し、すべては不必要と言い続けただけである。提起された数々の問題はどれも皆、公訴事実の存在に投げかけられた「合理的疑い」であった。九年間の検察官の態度は、一審で提出された「有罪証拠」以上に、公訴事実の存在を証明する証拠がないことを意味している。

    こうして第三に、結論が導かれる。当審審理のすべてを通して、原判決が挙示した以上に、被告人が犯人であるという新たな証拠は何一つ現れなかった。逆にすべての証拠、すべての問題は、被告人の無実と、無実の被告人を陥れるための捜査があり、そこで作られた証拠があったという事実を示していった。

    当審審理の以上のような経過は、動かすことのできない事実である。検察官はもとより、裁判所もまたこの事実を直視すべきである。今後の審理の方向は、この事実の上に定められなければならない。

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    私は、第二段階の審理が始められるにあたって、裁判所に望むところを次のように述べた。

    「一切の予断偏見を排して、ただ証拠だけを、なかんずく客観的証拠を直視されたい。

    被告人がやったのだと疑ってかかるのではなく、その訴えるところに、ともかく謙虚に耳を傾けられたい。

    本件の真相は必ずそこから理解されるはずである。」

    「疑わしきは被告人の利益に」という大原則は、刑事裁判のあらゆる局面を貫き、あらゆる問題を解決する指導原理でなければならない。証拠の評価もその一つの場面である。

    裁判官も人の子である以上、虚心に証拠をみるといっても、鏡のように事物を反映することは困難である。それだけに裁判官は、常に予断や偏見、様々な独断、憶測を排除するために自戒しなければならないし、鏡のように証拠をみる積極的な努力を必要としている。

    私は、そのような努力は、具体的に言えば、捜査に対する批判を通じて証拠をみるという態度にあると考える。証拠はすべて捜査の過程で得られる捜査の産物であり、証拠の評価は捜査に対する批判の目を抜きにしては、適正であり得ない。

    一昨日、城口弁護人は、自白経路と足跡の問題に関連して、五月四日付:関口邦造作成実況見分調書添付写真十三枚は、実際に実況見分が行なわれた時に撮影されたものであるかどうか疑わしく、異なった日時に別々に撮影されたものが組み合わされている事実を指摘した。同弁護人の意見は、直接には、現場印象足跡を写真撮影したという点への疑問に関している。私がここで問題にしたいのは、実況見分調書記載のとおりに実況見分がなされ、写真が撮影され、その結果が事実に即し、真正に調書とされているとして提出されている、その証拠そのものが疑わしいという点である。そうとすれば、その調書をそのまま証拠とすることはできなくなるはずである。

    同じような問題、自白が作られたものであることを端的に示す事実が、自白調書そのものの物としての存在に数多く見つけ出すことができることを、筆圧痕に関する二鑑定書に対する評価をも含めて、指摘したかったが、割愛せざるを得ない。

                ただ一つの教訓を挙げておく。

    松川事件の第一次上告審大法廷判決は、いわゆる「連絡謀議」に関する「太田自白」の信用性に疑いを持ち、有罪判決を破棄して、原審へ差し戻した。全員の無罪が確定するまでには、なお多くの月日を必要としたが、有罪から無罪への大きな転換点であった。「太田自白」の信用性に対する疑問の根拠の一つに、大法廷判決は、太田省次の十月二十八日付三笠検察官調書の契印が符合しないことを挙げていた。「太田自白」だけでなく、「赤間自白」にも、その他の自白にも、調書の契印、訂正、インクなど調書の作成形式に多くの疑問があり、その内容と相まって、調書が改ざんされている痕跡を明瞭にとどめている箇所が多々あった。弁護人は、もちろんそのことを指摘し強調していた。しかし、実のところ大法廷判決が指摘した部分には、まだ気がついていなかったのである。

    このことは、裁判所が捜査に対する批判の目を持ち、証拠をその角度から評価するならば、弁護人の指摘や、当事者の論争点以外にも、多くの事実を発見出来るし、それは真相を究明する上にも貴重であるという経験を示している。要は、捜査に対する批判の目を持つかどうかである。その態度如何が、被告人の訴えを頭から否定してかかり、証拠を見る目を曇らせ、その結果、客観的事実を無視することにさえつながっていくかどうかを決定する。

    もちろん、このことを強調するのは、どのような証拠をも無批判に法廷に顕出(原文ママ)し、裁判所の判断に委ねればよいということと同列ではない。証拠開示の問題など当事者が実質的に平等でありうるのかどうか、捜査や公訴の維持が公正であったのかなかったのか、別に解決されなければならない問題の方が多いのである。ここでは、「疑わしきは被告人の利益に」という大原則が、裁判所によって具体的にどのような姿勢で貫かれるのか、ということこそが問われなければならないのである。

    当審審理の経過と事実の解明の発展が今日示している情況からいっても、また、証拠に対する評価について裁判所がとるべき態度からいっても、今始まろうとしている第三段階の審理は、捜査を批判し、被告人に無罪の判決をなすべきであるという方向以外にないのである。

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◯以上が弁護人=中田直人の弁論である。

    この弁護士は、狭山事件の発生当時から石川一雄被告を弁護してきた人物である。

   当時、石川被告の兄=六造から相談を受けた遠藤欣一(狭山市議、日本共産党)は、日本共産党系列の自由法曹団、東京合同法律事務所の中田直人橋本紀徳、そして同事務所の石田享を紹介、中田直人が主任弁護人に就任。日本国民救援会など、日本共産党の影響下にある団体が"自費"で支援していた。

   昭和三十九年九月、控訴審が始まり、石川被告が無罪主張に転じた時、中田直人らは部落解放同盟本部を訪れ、支援を要請したが顧みられなかった。しかしそののち、狭山現地調査へ参加した部落解放同盟は、協力関係にある日本社会党と共に狭山闘争支援を決議、この辺りから狭山裁判を支援する組織・団体らが、まぁ一言で言えば「揉め」だしたのである。

   石川支援の軸足が日本共産党から日本社会党へ移るにつれ、一審における石川被告の弁護人=中田直人らは部落解放同盟から「差別弁護士」「日共系弁護士」という攻撃を受けるようになり、昭和四十八年頃には石川被告自身からも「日共系弁護士」と公然と非難され、同四十九年には、中核派機関紙『武装』誌上で石川から「三月公判に於ける弁護士の不誠意・斗魂のなさといいましょうか、勉強不足には耳をふさぎ目をそむけたくなる」と非難を受け、昭和四十九年十月の二審終了後、同五十年二月に石川から解任され、「石川君自身が、反共・反民主主義破壊活動をこととする部落解放同盟:朝田派の立場にくみし、私たちを一方的に非難することを少しも恥としなくなった以上、石川君の弁護人となることによって、その誤った立場をともにすることは、もはや私たちにはできません」との辞任声明を発表するに至る。

   なお、中田弁護人らの辞任に先立つ昭和四十五年には、すでに朝田善之助(部落解放同盟委員長=当時)の依頼で、山上益朗が狭山弁護団に加わっている。

    本来ならば共産党部落解放同盟の対立など、裁判とは全く無関係な分野の話である。なぜ同盟側はこの狭山裁判に介入してきたか、いずれその本質を探らねばならない。また、石川被告の弁護のため手弁当で奔走してきた中田直人弁護士らに対する解放同盟の愚かな非難は、それ自体が解放同盟の誤った思考を浮き彫りにしてはいないだろうか。

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    ところで、昭和六十一年に福井市の中学三年生の女子生徒が自宅で殺害された事件で、殺人罪で懲役七年が確定し服役した前川彰司さん(六十)の裁判をやり直す再審で、名古屋高裁金沢支部は十八日、前川さんを無罪とする判決を言い渡した。

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    この事件の裁判では一審は無罪だったが二審で逆転有罪となっていた。正しい判断を下した増田啓祐裁判長の姿勢は、全裁判官が刮目し踏襲すべき手本であるのだが、彼らの世界では、このような判断を下すことは、たとえばこの事件で言えば二審の有罪判決を下した裁判官らが誤った判決を下したということになり、そこにわだかまりが生まれかねないこととなる。端的に言えば、増田裁判長はこの後、地方の僻地にある裁判所に左遷される可能性があるのである。それを考えると、このような気骨を持った裁判官は極めて少数であろうと推測する。