アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1397

狭山事件公判調書第二審4237丁〜】

                                        まとめ 

                      捜査を批判し、無罪の判決を

                                                                弁護人=中田直人

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    (一)

   「被告人は、いわゆる善枝さん殺しについて無実である。強盗強姦・強盗殺人・死体遺棄・恐喝未遂事件については、無罪が宣告されるべきである。」

   昭和四十五年四月二十一日の更新手続における証拠に関する意見の冒頭に述べた 、この言葉をもって、この度の更新手続における弁護人の意見の結びとしなければならない。

   被告人が無実であることについての私たちの確信は、この間ますます揺るぎないものとなったし、そのことは一層多くの人びとをとらえ初めており、公正な裁判を要求する声はいよいよ強く、広くなっている。

    (二)

    昭和三十九年九月十日当審第一回公判において、弁護人の控訴趣意書陳述後、被告人は自ら発言を求め、「控訴審では被告人が当然に発言することはできないから、弁護人とよく相談するように」という裁判長の説示にもかかわらず、「お手数をかけて申しわけないが、私は善枝さんを殺していない。このことは弁護士にも話していない」と供述した。

    この発言から、本件は正しい意味での審理が開始された。

    第一審の浦和地方裁判所における審理は、昭和三十八年九月四日の第一回公判から昭和三十九年一月二十三日までの五か月間、十回の公判を重ねて事実調べを終わった。善枝さん殺しの公訴事実に対する弁護人の反証請求をことごとく却下するという、あまりにも不当な措置を含みながら、異例の早さで進められたこの審理は、裁判の名に値しなかった。

    被告人自身の無実の宣言から真の裁判が始まった。昭和四十年七月十三日の第二回公判、同月十五日の第三回公判において、被告人は、死刑判決の基礎とされた自白が全く虚偽であること、虚偽の自白がいかにつくられたか、真実の行動がなんであったかを明らかにした。

    数回の検証、数回の被告人質問、三十人近い証人、筆跡・血液型の鑑定、その他若干の証拠書類などの取調べが行なわれ、二十九回の公判が約四年間に開かれたのち、いったん証拠調べは終わった。

    主として久永裁判長のもとで続けられた、当審審理の第一段階である。

    弁護人の弁論が予定されていた昭和四十三年十一月十四日、いわゆる筆圧痕の問題が法廷で明らかとなり、証拠調べが再開された。二証人の尋問と筆圧痕の検証ののち、これに関する鑑定が行なわれる間、久永裁判長は昭和四十三年十二月十九日の第三十三回公判を最後に退官した。

    昭和四十五年四月二十一日、井波裁判長、足立、丸山裁判官の構成による審理が開始された。当審審理の第二段階である。

    昭和四十五年五月八、九日の第七回検証、現場における横山ハル、横田権太郎両証人の再尋問によって証拠調べが再開され、以来昭和四十七年十月十二日(同年九月十九日の第六十八回公判ののち、証拠調べ請求に対する決定が井波裁判長ら前記構成のもとで最後になされた日である)までの約二年半の間に、三十回の公判、一回の出張尋問を含め、四十数人の証人尋問、筆記用具およびインク・封筒の糊づけの鑑定、死体に関する上田政雄鑑定書を始めとする六鑑定書の取調べ、玉石・棍棒の提出、指紋関係の捜査報告書、被告人の関源三に宛てた十七通の手紙など証拠書類の取調べが行なわれた。なお、検察官による被告人質問がなされている。

    一年余の中断ののち、審理は、寺尾裁判長、井口、丸山裁判官のもとで、三たび始められようとしている。当審審理の第三段階である。

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次回、(三)へと進む。

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    なお、堀兼に設けられていた捜査本部は昭和三十八年七月二十日(十日との情報も)に解散する。