アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1395

   残土の問題については、狭山事件弁護団により実地検証が何度も行なわれている。結論としては、やはり残土は残るのであった。

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狭山事件公判調書第二審4233丁〜】

                                 『玉石と残土』

         死体埋葬現場の客観的状況と自白内容との矛盾

                                                                弁護人=藤田一良

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六、残土の問題

   (1)   土地を掘って、できた穴の中に死体を置き、その上から土をかけて死体を埋めると相当量、土が余ることになることは、極めて誰にでもよく分かる常識的なことである。しかしこの常識が、原審判決においては無視されたのである。

   東京大学農学部教授=八幡敏雄氏の残土についての鑑定書によれば、死体埋葬現場と同質の土地において、被害者が埋められていた穴と同じ大きさの穴を掘り、被害者と等質量の物体を入れて埋め戻した場合、掘り上げた土の重量は千三百キログラムであったが、

   1.ただ土を投げ込むだけで、表層附近を多少足で踏み固めるだけのやり方と、

   2.土を投げ込んでは穴の中に入って足で踏み固め、再び上がってまた土を投げ込むという丁寧なやり方を数回繰り返す場合

   とでは、残土の量は異なり、前者では二百四十七キロ、後者では九十二キロ、石油缶で十六杯分と六杯分である。(但し火山灰地の場合、穴の隅々まで時間をかけ相当丁寧に踏みつけた場合には、残土を出さずに埋め込むことが出来ることは、計算上成り立つとのことである。)

   (2)   石川君の自供によれば、単に「そして泥をかけておき穴を元のままにしておきました。」と述べているだけであり、右の最初の方法よりももっと素朴な方法によって埋めたことになり、従って、二百五十キロ以上の残土が生じることになる。

   七月六日付の検察官面前調書には、

 「死体を埋めた穴を掘った土は、その脇の麦畑や茶の木の方に放ったが、穴に死体を入れてからその土をかけて、だいたい平らにしたわけです。だから麦畑辺りに、掘った土の残りがそのままあったかも知れません」

   と供述させられている。この供述通りだとすれば、残土は処理されずに、穴を掘る時に放り出されたままで附近に残存していたことになるが、これは、明らかに死体発見現場の状況とは違うのである。

   (3)   消防団員=橋本喜一郎は、五月四日午前十時三十分頃「山狩り」に従事中、死体埋没現場を発見したのである。同人の原審第三回公判の証言は、死体埋没現場が、

   「地割れが一メートルくらいしておったので、棒で二、三回つつきましたら、柔らかいために穴が開いたもんで(死体の穴を埋めた土は、全然踏み固められていないことを示すものである)、ちょっと変だというので」

   気が付いたというのであり、附近の残土の存在については何も証言していないのである。

   また、附近の農耕者である鈴木要之助は、三月二日(注:1)に死体発見現場附近の土地を通ったことがあるが、

   「掘ったような土跡があり、その土のところはよく平らに撫でてありました。」

   「手で平らに撫でてありました」

   と述べているだけで、残土が周辺に残及(注:2)していた状況については、何ら証言していない。

   従って、現場の状況やこれらの証言を総合して考えると、残土は犯人らの手でいづこかへ持ち去られたものか、あるいは、極めて丁寧な作業で、相当広範囲にその附近に均一に散布されたのかのいづれかを想定するほかないが、石川君の前述の各自白は、いづれもこのような事実と全く相違している。従って残土の問題一つ取ってみても、石川君が犯人でないことは明らかであると言わなければならない。

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注:1 原文のまま記載したが、実際の日付は三月二日ではなく、四月二日である。

注:2 「残及」という言葉は、通常、日常生活ではあまり使われない。文脈によって意味が異なるが、一般的には「残りの及ぶ範囲」や「残された範囲」といった意味で解釈できる。