アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1388

   

狭山事件公判調書第二審4214丁〜】

             『出会地点』自白の生成と虚偽架空

                                                                  弁護人=石田  享

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   3、取調官の認識と三人説自白

   こうして山学校附近に被告人を登場させたのは他ならぬ取調官の認識、想定に基づく自白の強要、誘導であった。取調官の認識を実によく反映しているものは、被告人の最初の自白調書である六月二十日付(員)関調書の「出会い地点」附近の内容である。

「それで荒神様のところから新しい中学校の方へ三人で歩いて行って、山学校のそばの十字路のところに入間川の友達がいて、俺と入曾の友達はそれから少し山の方へ行ったところで待っていたんだ」(六月二十日付調書)

   この記載によれば、被告人ともう一人の友達の二人が「山学校のそばの十字路のところから少し山の方へ行ったところ」にいた、というのである。奥富植木屋の供述調書は未だ私達に開示されていないけれど、それに照応するものと断ずることができる。

   山学校附近の二人の男をにらんでいた青木警部ら取調官の認識、想定がそのまま最初の自白調書に投影されているのであった。これほど捜査当局の想定と合致する自白が、しかも捜査当局さえもやがて真実でないとして排斥し、無視する虚偽自白が、強要や誘導なしにどうして生じ得ようか。

   ちなみに最初の自白調書の立会人は、植木職奥富の供述に基づき五月十八日、所沢市十四軒の農家に赴き「石川一夫・東島明の自筆に係る紙片一枚」を任意提出させた清水輝雄巡査部長であった。

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三、「出会い地点」の微妙な変化とその原因

   (一)   三人説自白と「出会い地点」

   すでに明らかなように「山学校附近」に「二人の男」を登場させるべく鋭意「努力」した取調官の目的は、三人説自白において実現した。

   捜査当局にとって、被告人を自白せしめたことは狭山事件解決への巨歩を進めたことであり、成功への大きなスタートのはずであった。

   捜査当局のつまづきの繰り返しのため、国会においてさえ論議の的となり、六月十四日、中垣法務大臣衆議院内閣委員会において遺憾の意を表明しなければならなかったほど、捜査当局に対する世論の批判が強く、しかも被告人を再逮捕して是非とも「自白」を得る必要に迫られていた捜査当局にとって、大きな成果だったはずである。

   捜査当局にとっては、入間川の男と入曾の男を割り出せれば、しかも一人は東島と割り出していたのであるから、あと一人を割り出せば足りることとなり、被告人に述べさせる形が整えば、まさに基本が出揃うことになる。捜査当局にとって想定通りの捜査の進展を期待できる状況が形成されたということができよう。

   (二)   単独説自白への変化と「出会い地点」

   しかるに間もなく三人説自白は単独自白へと移行する(六月二十三日付:青木調書)。

   以後、捜査当局にとって奥富植木職の「山学校附近」で「二人の男」を見た、という供述はそれまでの絶大な信用性から、逆に有害無益な邪魔物と化して了(しま)うこととならざるを得ない。なぜならば「二人の男」と単独説自白とは明白に矛盾するからである。

   捜査当局は単独説自白の頭初(注:1)、三人説への執着が強く残っていた。

   「一人でやったと言っても警察の人はなかなか信用しなかった」し、「お前、やっぱり三人でやったのではないか、と聞かれた」と被告人は述べている(当審三回供述)。しかし単独説から三人説への逆戻り現象は生じなかった。

   捜査当局は三人説自白への逆戻りができないこと、さらにその逆戻りのために、さらに努力を継続するならば、自白そのものが撤回されかねない危険を感じたものであろう。直ちに三人説を諦め、奥富供述を「信用できない」として捨て去るのである(青木一夫:当審七回証言、原正:当審十七回証言)。同時に奥富植木職の供述調書や聞込み結果の捜査報告書類は、それ以後、門外不出のものとされ隠されて了(しま)うのである。

   また、それとほぼ同時に「出会い地点」の自白の微妙な移動が始まり、「山学校の前」とか「山学校附近」で出会ったのではなく、「もっと荒神様のほうへ寄った場所」に変化する(六月二十五日付:青木調書)。同調書添付図面によれば、(あ)と記されている地点であり、同じ日付の原検事調書でも「山学校の四辻の一つ手前の四辻」と記載される。六月二十六日付:青木調書添付図面、六月二十七日付:青木調書、二.三項及び同調書添付図面、同日付同調書三項及び同調書添付図面も同様である。

   この変化の原因は、すぐそばの山学校の直前の畑に、文字通り「目と鼻」の先に人がいたこと等を捜査当局が知っていたからに他ならない(弁護人の昭和四十五年四月二十一日付事実取調請求書第三、3.犬竹幸の証人申請及び弁護人の昭和四十三年八月二十七日付事実取調請求書2.高橋ヤス子の証人申請)。

   目と鼻の先では余りにも具合が悪い、と捜査当局の目に映(注:2)じたものであろう。

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(続く)

 注:1 「頭初(とうしょ)」=物事のはじめの時期。はじめのうち。最初。意味は「当初」と同じ。

注:2  「映じた(えいじ た)」=「映じ」は、「映じる」の過去形または連用形である。意味として、①光や物の影が他のものの表面にうつる。②光を受けて明るく見える。

   ◯六月二十五日付:青木調書添付図面(あ)地点記載の資料などは当然の如く老生は持ち得ない。そこで「山学校」という表記が確認できる資料をあつめてみた。

おや、この写真には「(あ)つかまえたところ」と記載されている。しかしながら、かなり雑な図面である。

  結果的には下の写真に写る場所が「出会い地点」とされている。

     この事件の真犯人が殺人を犯す、犯罪を犯すというのは、何かそこに、やむにやまれぬ事情があったに違いない。その動機を追及すれば、本件事件の本質に迫れるのかも知れない。