【狭山事件公判調書第二審4178丁〜】
『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』
弁護人=城口順二
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(4)、時間に関する自白の問題点
(ロ)、次の問題は、犯人は脅迫状冒頭に「五月二日の夜十二時に金二十万円・・・」と日時を特定して金を要求する他、人質を返す時間なども明記するほどに時間に関心を持っている。このことと、被告人が家を出発する時刻について、六月二十四日付員調書では、「私は五月二日の夜、午後九時頃家を出ました。この時、時計を持っていないし家の時計を見たわけではないから正しい時間はわかりませんが、大体九時頃と思います」として根拠を示さず九時頃と述べている不思議がある。ここには時間に対しほとんど関心が示されていない。脅迫状の記載と自白とは同一の人物によってなされたものでないとの疑いを消すことは誰にも出来なかろう。
(ハ)、別の六月二十四日付員調書によれば、被告人は被害者の時計を盗ってから、これを自宅の鴨居に隠し、五月十一日頃狭山市田中に捨てたとされている。本件の犯人は脅迫状に時間を特定し、極悪な犯行を金を受けとることで完結せんとしている。犯人にとって時間の経過は非常に重要であろう。したがって犯人が時計を持っていないとか時計を見ないということがあるのだろうか。本件の犯人が時計を盗っているところからすれば、これを利用する意図があると考えるのが通常で、普段時計を持っていない者であっても、金を受けとりに行く本場合など格好の時機でないか。ところが被告人の自白によれば、時計を持っていないし、持ってもいかない。さらに、被告人は供述全体からテレビをよく見ることが窺われるのに、出発時間をテレビ番組から知ることもない。
以上(イ)から(ハ)まで一貫して流れる事実として被告人は、時間について異常なまでに無関心・無頓着であることが顕著である。本件犯行に関して、随所に犯行の時間について疑問が提起され、それが、まったく事実を客観化するものでないことが問題となっている。佐野屋への往復時間に関しても同様で、これらは思うに被告人自身の体験でないことをはっきり物語るものと言えよう。当弁護人は、この点信じて疑いを持たない。
六、その他、往復経路に関する諸問題
(別表A)
(イ)、被告人は、佐野屋東側・畑中で一時間内外{合理的に考察された別表A( Ⅱ )によれば一時間四十分}待っているとされるのに、県道を通行する人、車に気付いていない。原審:増田証言と明白に食い違う重要な点である。当夜は月夜でもあり、比較的明るかったと思われる(同証言など)ことからみても畑中に存在していないのでないか。仮に存在していたのなら、県道上の動静については細大(さいだい)もらさず注意し、特に人の動きについては、異常なほどの関心の的だったからである。
(ロ)、のちに詳述するように、五月四日付:関口邦造作成実況見分調書中、県道近くの足跡、畑地内十八ヶの足跡、市道東南の足跡の印象状態、方向などは、自白及び検察官の進路変更にも拘らずまったく被告人のものと無関係である。
(ハ)、当夜、被告人の行動距離は、歩きと駆け足の往復で約九千六百メートルとなる。この長距離を自己の足よりひどく小さく、しかも履くと足が痛い地下足袋を履いて歩行あるいは走破できるものか。まったく不可能の事態である。しかも他の自供によれば、容易く履けないはずのものを下駄箱から出してそっと履いて出かけた(六月二日付員調書・六月二十五日付検調書・五月二十七日付調書・当審供述)としているなど、供述の先走りの感がする。
(ニ)、五月二日夜の行動は、五月一日の行動に関する自白からみれば、ひどく簡便で、具体性に欠けることはつとに指摘されているところである。
(続く)
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○夜、寝床につきながら考える・・・自白した犯行経路において石川被告を目撃したという者は皆無であるが、ならば事件当時、真犯人を見たという目撃者は存在しなかったのだろうか。そしてもう一つ、佐野屋付近から逃走した犯人が逃げおおせたのは、警察による警戒区域の範囲内に住居を持っていたからではないか(第一審の調書によれば婦女暴行の前科を持つ者数名がこの地の近辺に居住していた事実がある)、などと疑問があふれ出し、つい本日も寝酒の量が増してしまうのであった。ふう。