アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1376


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(事件当時の佐野屋付近)

(第三回検証第一見取図)

(赤線は被告人自白のルート。青線が検察官の主張するルート。)

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狭山事件公判調書第二審4171丁〜】

『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』

                                                                弁護人=城口順二

                                            *

   第一、「佐野屋往復経路はつくられた」

   一、自白調書の記載事実

   被告人が佐野屋東側畑に赴き、中田登美恵と問答し、結局目的を遂げずに自宅に逃げ帰ったことについて、自白は極めて少なく、僅かに

①六月二十四日付員調書(二〇二六丁)

②六月二十六日付員調書(二一〇三丁)

③六月二十五日付員調書(二二一一丁)があるにとどまるが、いずれも経路についての図面が添付されている。    なかでも①の調書が詳しい。この調書によると、五月二日午後九時頃家を出て、「狭山精密の前から横へ出て、薬研坂を通り、そこからまわり道をして佐野屋の南側の方に出」、そこから「畑道を通って佐野屋の東側に出るように行きました。」とある。そして添付図面によると、「まわり道」をしたのは、薬研坂通り南側で、当審第三回検証第一見取図と対比してみれば、同見取図記載の墓地の手前を右折し(この点は以下56点とする)、同見取図56点を通り、佐野屋の南方を迂回し、結局町田方(㉞点)に至っている。

   さらに前記①②③の調書添付図面によると、町田方から佐野屋のすぐ東側に接する道を通って佐野屋に至っている。

   以上の経路は、右添付図面を一見観察しただけで優に肯認される。右経路は、往復とも同一であることは調書に明白である(①②③調書)。

   二、三つの進路変更

   右の経路を故意に、検察官は次の三点で変更してしまった。当審第三回検証における検察官の指示説明にそれをみよう。

   (1)、自白では、薬研坂通りの54点は直進すべきところを、何故か右折させ、裏通りに入り55点で左折し、56点に至って右折させている。自白は右の指摘のほか、薬研坂通りの56点で右折して、56点を通過していることを示しており、これは、検証見取図中「墓地」の表示と、前述①の調書添付図面中「はかば」の表示が一致することから全く疑いを入れないところである。

   (2)、自白は、59点から町田方十字路㉞点を右折しているのに、検察官は59点から八十四メートル進んで右折させ60点を通過して61点に至っている。これもまた明白な進路変更である。

   (3)、自白は、明白に佐野屋のすぐ東側に接する農道を通っているのに、右農道より更に約四十メートル東側に存ずる61点ないし63点に至る農道を通過させている。

   右の三つの進路変更は、自白の真実性を確かめる上からも重大で、看過できないことを指摘する。以下各進路変更を「(1)の進路変更」などという。

(次回、"三、佐野屋周辺張込みの実体"へ続く)