【狭山事件公判調書第二審4166丁〜】
『筆跡をめぐる諸問題』
弁護人=松本建男
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第四.[脅迫状における記載文字、語句の特徴点]
(二) 非常に多くの漢字が不必要に用いられている。
漢字は、全体の文字数二百四十三字のうち七十五字に及んでいる。しかもその漢字の中で誤った手法によるものは一字もないことが大きな特徴である。あて字は別として漢字のうちで用法を誤っているのは僅かに五行目の「小供」の「小」の記載だけであるが、本文には正しい「子供」の記載が五箇所あるのであって、筆者が間違った文意識を持っていたことにはならない。
また漢字の筆法として「氣」字の如きは、「米」を「メ」と表現する簡略体を用いており、筆者の文意識が決して低くないことを物語っている。(氣は気の旧字体=筆者注)
(三) 「う」字(12、13=行数)、「え」字(8)、「お」字(4、6、8)は用いられており、これらを用いる方法も適確である。濁音の付け落としも全くない。
これらはいずれも前記三鑑定書の指摘を確認するものである。
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第五、[結論]
以上の分析により、被告人が逮捕された当時、ほとんど字を書けなかったこと、特に漢字の表記能力は自分の氏名(それも一雄としないで一夫としている)、住所の記載を別とすると皆無の状態に近かったこと、仮名文字についても、「う」字、「え」字、「お」字、「つ」字、「ル」字、「め」字の記載能力がなかったと推定されること、表現方法において極端な稚拙さが認められ、文法上の誤りも著しいこと、しかしながら被告人は逮捕後、連日の取調べを受け、図面などを書かされる過程で、かなり急速に語句の正しい表記方法を覚えていったと推定され、特に六月二十五日、二十七日頃に字の用法について従前よりも格段の改善がなされ、稚拙ではあるが語句の意味を大体正確に表現することができるようになってきていること、被告人が浦和刑務所に在監したのは昭和三十八年七月九日から三十九年四月三十日までであるが、入所当時は読み書き能力は非常に劣っていたが、向学心が旺盛で、積極的に平仮名のペン習字をし、本を読み、看守から教わるなどして読み書き能力を伸ばしていったことなどが認められるのである。
高村鑑定書が自認しているように被告人の文筆能力は、昭和三十八年六月二十七日当時と同年十一月五日当時とでは格段の進歩が見られるのであるが、その六月二十七日付の手紙は、前述したとおり被告人が一ヶ月以上にわたる取調べの間に習得していった文筆能力によるものであり、特にその文章は取調官によって指導されて書いたものであることは疑う余地がなく、被告人の当時の独自の文筆能力を示すものとは必ずしも言えないのであって、脅迫状らの照合文書とされるには適さないものなのであるが、にも拘らず脅迫状に表れている文筆能力との間には著しい隔差が存するのである。
筆跡に関する検察側の三鑑定書は、いずれも脅迫状と被告人作成の文書を対照して異同を論ずる際に用いられている平仮名についてその類似点を挙げるのであるが、相違点をことさら無視するか軽視している点は置くとしても、両文書間に否定し難く横たわっている筆者の文書能力における著しい相違という、誰しも認識せざるを得ない相違点を故意に捨象(注:1)しているのである。木を見て森を見ないとは正にこのことであり、どれほど細かい分析をしているように見えようとも帰するところ全く非科学的な手法に過ぎないのである。問題は被告人の筆跡の断片と脅迫状の文字とに類似する点があるか否かではなく、被告人が脅迫状を書き得たか否かであり、この点は常識を持つ人なら誰しもそれが不可能であったことを認めるであろう。
長野鑑定書は、脅迫状は文字の形体構成、使筆技能の程度も著しく拙劣であることが認められ、これに比べて被告人の昭和三十八年五月二十一日作成の上申書は拙劣である点で共通しているが、筆勢の弱い点が顕著に表現しているとし、右筆勢における差異は、書写時の心理的、生理的条件に影響されるとするのであるが、筆勢の顕著な差異は両筆者の筆書能力そのものにあることは誰にでも分かることである。
また高村鑑定書は両者は書字能力(使筆技能)が伯仲(注:2)していると述べるが、その然らざる(注:3)ことは、以上に述べたところにより明らかと言わねばならない。
最後に、被告人の筆記能力に関する重要な証拠である捜査調書を検察官が一審当時ことさらに提出をせず、あたかもこれが存在しないかのように装っていたことにあらわれる違法性に注意を向けていただきたい。一審段階に提出された被疑者調書はいずれも被告人の文章能力、筆記能力には全く触れていないものばかりであり、僅かに六月二十四日付調書において、「私は本当に漢字は少ししか書くことができません。私はその手紙を書くために〔りぼんちゃん〕という漫画の本を見て字を習いました」と述べているにとどまるのである。
本来の筆記能力に関する証拠をことさら隠匿する検察官のあり方は本件捜査を貫流する警察の捜査方法の違法性を無批判に踏襲するものであり、実体的真実を明らかにして司法の正当な実現に貢献すべき検察のあり方からみて断じて許されないところであると言わねばならない。
以上の点により、本論点に限ってみても被告人の無実性は疑問の余地のないところである。無実の被告人がすでに十年半余の永きにわたって拘禁されているというこの受忍限度を超える不正義の状態に直ちに終止符をうち、司法の正義にふさわしい諸措置をとられることを裁判所に要請するものである。
以上
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注:1.「捨象(しゃしょう)」=現象の特性・共通性以外を問題とせず、考えのうちから捨て去ること。
注:2. 「伯仲(はくちゅう)」=よく似ていて優劣のないこと。
注:3.「然らざる(しからざる)」=そうでない、そうではない、という意味。
○なお今回で弁護人=松本建男による『筆跡をめぐる諸問題』の弁論は終える。次回から弁護人=城口順二・『足跡および佐野屋往復経路の諸問題』へと進む。
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ところで、毎日新聞の校閲を担当する方の記事がサンデー毎日に載っている。題目は"狭山事件に募る疑問――校閲的に気になる「ょ」"である。狭山事件に興味がある方は是非とも目を通したほうがよい鋭い観点による記事である。
虚しくも石川一雄氏が亡くなってしまったが、だらしなく情けないジャーナリズム等はこの問題を取り上げようとはしない。可能であれば、本多勝一氏にこの事件を扱った記事を執筆して頂きたいところである。