【狭山事件公判調書第二審4163丁〜】
『筆跡をめぐる諸問題』
弁護人=松本建男
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(5) 「○○を」と表記すべきところを「○○の」と表記している。例示すると次の如くである。
『ざいも"の"をいたところ』(ざいもく"を"おいたところ=一九四七丁)
『かや"の"をろしたばしん』(かやをおろしたばしょ=一九五二丁)
『ぎゆんにんびん"の"すてたところ』 (ぎゅうにゅうびん"を"すてたところ=二〇四九丁)
『とけい"の"すてたばしよ』 (とけい"を"すてたばしょ=二〇七五丁)
この間違った表記方法は六月二十五日付図面(二〇九三丁)「したいををいたところ」、同(二〇九四丁)「よしェさんをうめたところ」、同二〇九六丁「しやべるをすてたところ」において初めて是正されている。
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(6) その他、被告人の書いた語句には濁音のつけ落としが随所に見られるほか、六月二十五日の二〇九五丁の図面のように、「2メートル」と表記すべきところを「ル」を用いないで「る」を用いているとか("ル"字を知らなかったことが推定される)、
「みはりしてたところ=一九七九丁」「しんでたところ=二〇二四丁」「まてェたところ・まてたところ=二〇六〇丁」のように、「い」字を表記しない誤りが見られる。この点は六月二十五日の二〇九二丁で初めて「ころしてからかんがェていたところ」のように是正されている。
また六月二十五日の二〇九一丁、六月二十六日の二一〇三丁では「つかまいたところ」と表記しているのが、六月二十六日の二一〇四丁では「つかまえたところ」と是正されている。
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最後に、被告人は平仮名や数字についてさえ、これを正確に書く能力を持っていなかったことを指摘せねばならない。
この点で特に顕著な例を指摘するならば、六月七日付図面(一九七九丁)では、「いりぐち」の「ぐ」字を「く」字と書き、濁音を第一画の右側ではなく左側に付している。
同様のことは当審提出にかかる五月二十五日付図面(二七一〇丁)、五月二十七日付図面(二七二一丁)にも同じ特徴が認められる。また、被告人は「め」字を書けず、「ぬ」字をもってあてていることが、当審提出の五月二十五日付図面(二七一〇丁)で、「100くぬとるくらい」と記載している部分の「め」字を表示すべきところに「ぬ」字をあてている。この点から被告人には「め」字を正しく表記する能力がなかったことが推定される。
図面(二七二一丁)では「九文七分」と表示すべきところを「97」と表示しているのであるが、その際の「9」字を「※写真①参照」と表示している。このことは被告人が「9」字を正しく表記する能力を持たなかったことを物語るものである。
写真① 中央の抽象文字が被告人が書いた「9」である。なお上下の横線はカギカッコ=「 」。
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次回、『第四、脅迫状における記載文字、語句の特徴点』へ進む。
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○さて、老生がこの狭山事件を知ってから、常々疑問を感じていた事案の一つに『筆記能力の著しい劣化・退行』がある。昭和三十八年四月過ぎ、石川被告は東京で起きた吉展ちゃん事件をヒントに、子どもでも誘拐し身代金を取ろうかと脅迫状を書いたとされる。この脅迫状は結果的に日付と場所が訂正されるが、概ね原型を保ったままと考えられる。
作為的な当て字を含め、手紙全体としてはかなり達筆と呼べる出来の脅迫状である。これほどの文章を書き上げた石川被告であるが、逮捕後、取調べに対する図面作成においては小学校低学年並の、それもいわば落ちこぼれ(差別ではなく事実)の児童がかろうじて書いたような文字表記へとその筆記能力が急下降しているのである。
ここで手持ちの事件資料より例を挙げよう。
下の二枚の写真は脅迫状を書いてから約一ヶ月後ほどのちの五月二十四日付図面である。
「五月」という表記のあとに「ツ」が足されている。
「じどんしのなかからもツてきた」は「自動車の中から持ってきた」と、かろうじて判るが、「んこばす」や「よりしや」「んとをも」(順番が逆かも知れない)とは、これは何を言っているかちょっと分からない。
少なくとも三回、いや十回くらいは読み直し、さらに取られた調書の趣旨や背景を加味し理解に勤めなければ、ここに書かれている文字等は誰にもその意味は判らないであろう。