入間川付近を散策中、猫の餌をばらまく老人を目撃した。周辺の縄張りを管理するこの野良猫は鋭く眠りから覚め甘い鳴き声で老人を呼び寄せていた・・・。
こちらの猫は全力で睡眠のみを求めており、指でつつくも反応は全く示さない。猫の耳元で「狭山事件の再審をヨロシク」と囁きこの場を立ち去る・・・。
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【狭山事件公判調書第二審4161丁〜】
『筆跡をめぐる諸問題』
弁護人=松本建男
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(四) 第二に、被告人には語句の表現の仕方ならびに字のあて方に顕著な特徴がある。そのいくつかを摘記すると、
(1) 名詞、動詞の中での「う」字の使い方が○○に○○手である(○印は原文の印字不鮮明=写真①参照)。
(例) じどんし(じどうしゃ) 、○○(うち)、どんり(通り)、をも(思う)、しよじ(しょうじ)、がこう(がっこう)、じどしや(じどうしゃ)、じどをしや(じどうしゃ)、このよんな(このような)、ほをめん(ほうめん)、がッこを(がっこう)、ふんとを(ふうとう)、ゆんこと(いうこと)、ぎゆんにん(ぎゅうにゅう)、しゆりこをじを(しゅうりこうじょう)、こをばん(こうばん)、じどーしやや(じどうしゃや)
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おそらく、六月二十五日頃までは被告人は「う」字の筆記能力を持たなかったものと推測される(「う」字が出てくるのは六月二十五日の図面二〇九一丁で、「あさひじうたく」「がつこう」の中に出てくるのが初めてである)。
(写真①)
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(2) 「え」字をすべて「エ(ェ)」と記載している。
(例)エきどんり・なかだェさくさん・せェみッ・よしェさん・まて(待って)ェたところ・かわこェ(川越)ほうめん。
正しい「え」の使い方は、六月二十六日の図面(二一〇四丁)の中の、「よしェちやんをつかま"え"たところ」に出てくるだけであって、被告人がその頃まで「え」字の筆記能力を全く持たなかったことが推測される。
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(3) 「お」字はほとんど用いられず、「お」字を用いるべきところでほとんど「を」字が用いられている。
(例) とをも(と思う)・こをば(工場)・をろした(おろした)・をいこされた(追い越された)・へりこふたーのをいたところ(ヘリコプターの降りたところ)・をもを(思う)・ををきさ(大きさ)・をもいます(思います)・をいた(置いた)・をれの(俺の)。
「お」字が用いられているのは僅かに、六月二十日(一九九四丁)「おてら」、六月二十二日(二〇三六丁)「かみのおおきさ」、六月二十六日(二一〇三丁)「おいこされたところ」「おまわりさん」くらいであり、また六月二十六日以後の段階でも、「をてら」「をれのうち」「をいこされたところ」(二一〇四丁)、「をれ」(二一五〇丁)などの記載があり、結局、被告人は従来「お」字を用いることがほとんどなく、筆記能力も極めて低かったものと推測される。
この点で、七月二日までのすべての図面上の文字記載をみると、「を」字が六十五字用いられているのに反して、「お」字が用いられているのは僅か前記五字のみである。
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(4) 促音の使い方をほとんど知らない。
この点につき、促音を使用せねばならない語句について、被告人がどう表現しているか見てみることにする。
『もツて』『なぐた』『あた』『がこを』『やまかこを』『もて』『のツた』『とツた』『がツこう』『あた、はいツて』『とゆて、はて、あツた』『かあて』『まて、まてた』『とた』『やまのがこを、がつこう』『あつた』『やまがあこう、かあこう』『しばあた』『ほしかたら、もて、もてこい、かェェて、きなかたり、いてみろ(二二九六丁)』『とおた、とまて』。
これによると被告人が促音の「つ」字を正しく使っているのは六月二十五日と同月二十七日作成の図面だけであることが分かるし、六月二十五日までは被告人が平仮名の「つ」字を知らなかったことが推定されるのである。すなわちそれまで促音は大体において表現されていないが、表現されている場合(前記二〇七四丁までの二十一字のうちの六字)においても正しく平仮名によって表記せず、片仮名を以って表現している。また六月二十七日以後の作成図面においても、「ツかまェていツたほをこう」のように、依然として片仮名のツ字を用いるか、まったく促音を省略していることに注意すべきである。
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