(二点の写真は"無実の獄25年・狭山事件写真集=部落解放同盟中央本部中央狭山闘争本部・編、解放出版社"より引用)
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【狭山事件公判調書第二審4124丁〜】
『物証をめぐる諸問題』
ビニール風呂敷、二本の木綿細引ひも、荒縄について
弁護人=福地明人
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(二) ビニール風呂敷の使用方法について。
(イ)6・25員「足をしばる時に縄に足(た)してつないで使いましたが切れてしまいました」
(ロ)6・25検「ひものように引きしぼって善枝ちゃんを穴に吊るす前に足の方をしばりましたが、それは切れてしまいました」
(ハ)6・28員「縄につなぎ善枝ちゃんの足に巻いて強く引っ張ったら切れてしまった・・・」
(ニ)6・29員「両足が開かないようにビニールの風呂敷でしばった・・・」「足をしばったやり方などは、いくらか違うかも知れませんが・・・」
(ホ)7・7検「風呂敷を引きしぼって縄のように丸め、それで善枝ちゃんの足首をしばり、ビニールの端を麻縄に結びましたが、一寸引っ張ったらビニールが切れたのでやり直したものです」
(ヘ)被告人供述
問=「何に使ったです」
答=「縄で一度ゆわえて・・・・・・」
問=「この風呂敷を縄でゆわえた」
答=「ええ」
問=「どんな風にゆわえたですか」
答=「こばとこばを合わせてです」
問=「角と角を合わせた」
答=「合わせて善枝ちゃんの足をしばったです」
問=「角が切れていますね、これは最初から切れておったですか」
答=「切れてなかったです」
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以上から次のことが言える。
1.ビニール風呂敷を縄につないだ(足した)とするのは(イ)(ハ)(ホ)(ヘ)である。(ロ)(ニ)ははっきりしない。
2.まず、ビニール風呂敷を縄につなぎ、然る後に足をしばったとするのは(ハ)である。
まず、足をしばり、然る後に縄につないだとするのは(ホ)である。
(ハ)では、ビニール風呂敷を縄につないで足首に巻く前に引っ張って切れたかの如き供述も並存しているが、いずれにしても縄につないだのが先であることには変わりがない。
この、縄につなぐのが先か足首に巻くのが先かという先後関係は、ビニール風呂敷の残された切片と麻縄の状態に照らして重要な意味を持つ。だからこそ、(ハ)における先後関係は、(ホ)の検面調書でひっくり返されたのだと考えられる。そして、これが(ヘ)で再び曖昧にされ、むしろ(ハ)に戻っていると解するのが合理的であるが、そのことは、被告人がビニール風呂敷の使用方法を本当は知らないのだということを意味する。
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(三)ビニール風呂敷はどこにあり、それがいつどのようにして芋穴の傍へ移動させられたのか。
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(イ)6・25員(何も触れず)
(ロ)6・25検「ビニール風呂敷が善枝ちゃんの自転車のハンドルについている籠の中にありましたので・・・・・・穴に吊るす前に足の方をしばりましたが・・・」
(ハ)6・28員「足をしばるところだけは、特別に丈夫なものを使わないと普通の縄では切れてしまうと思いました。そこで私は善枝ちゃんの自転車の前の籠についていたビニールの風呂敷を使おうと思って・・・・・・」
「このビニールの風呂敷を籠の中から取り出したのは何時かというと、善枝ちゃんをしばって目かくしをしてから取りに行って来たと思います。何のためにこのビニールの風呂敷を取って来たのか思い出せません」
(ニ)6・29員「その時私は善枝ちゃんの両足を開かないようにビニールの風呂敷でしばったように思います。このビニールの風呂敷は私が自転車のスタンドを立てて善枝ちゃんを山の中に連れ込む時、自転車の前についていた籠の中から取り出して来てポケットに入れて持っていたが、善枝ちゃんを殺してしまってひの木(檜)の下に考えている時そのビニールを冠(かぶ)っていたと思います」
(ホ)何も触れず。
(ヘ)何も触れず。
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以上から次のことが言える。
1.ビニール風呂敷をいつ何のためにどこから取り出し、それをどう所持していて芋穴の所で使用するに至ったのかは、捜査官にとって一つの重要な問題であったはずである。
この点については、(イ)は全く触れず、(ロ)も実質的には何も解明せず、(ホ)(ヘ)もまた何も触れない。
(ハ)(ニ)がこれを扱っているが、これがまた、全く矛盾しているのである。すなわち、取り出した時期について(ハ)、(ニ)は完全に食い違う。一方は目かくしをしてからと言い、他方は被害者を林へ連れ込む時という。そして前述のとおり(ニ)は(ハ)の翌日の調書とされ、しかも同一の捜査官により作成されているのである。(ニ)は(ハ)との食い違いについて何の釈明をも行なっていない。こんなことがあり得るのであろうか。
2.取り出した時期に関する(ハ)、(ニ)の右の相矛盾した供述は、そのいずれも我々を納得せしめる説得力を持たない。それは何故その時に取り出したのか、その理由についての供述がないからである。
(ハ)は「何のためにビニールの風呂敷を取って来たのか思い出せません」という。このような供述は、被告人が本当の犯人であるならばあり得ないことである。何故なら、被害者を出会い地点から連れ込んだ後の被告人の行動はすべて切迫した状況下で行なわれ、 一つ一つが目的意識を持ってなされたものであったことは相違ないから、この点を知らないことはあり得ないと思われるからである。
3.この問題が(ホ)の検面調書でも放置されてしまっているのは、結局手当てのしようがないくらいに(ハ)と(ニ)が混乱してしまったから、検察官としてもさらに手をつけて混乱を拡大するのを恐れたからであろう。
4.以上から判断して、ビニール風呂敷をいつ、何のために、どのようにして持ち出したかについては被告人が何も知らなかったことを全面的に認めることができるだろう。
さらに、ここでもやはり、(ハ)と(ニ)とを比較対照して、調書の日付と内容が矛盾し、果たして日付どおりの日時に作成されたものではないのではないかという疑問が持たれるのである。
(続く)
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○ところで、本件脅迫状の執筆者が日付と場所を訂正したとされている。
五月一日夕刻、中田健治により警察へ提出されたこの脅迫状を見た当局は、指定された五月二日とは、もしかすると五月一日の夜を指すかも知れぬと中田家の前で張込みを行なった。ここまでは事実であるが、以下は裏付ける資料のない余談となる。
念のため五月一日夜に張り込んだ捜査員の、たまたま発した大声に、一緒に立ち会った被害者の姉=登美恵は非常に怯(ひる)み怯(おび)え、と同時に付近に潜んでいた何者かが逃走する事態と事は発展した。吉展ちゃん事件に次ぐ「失態」との評を恐れた当局側の者がこれを誤魔化すため、あるべきことか脅迫状の日付及び場所を書き換えたとの、こういった噂がまことしやかに囁かれていた。脅迫文の文字と訂正された文字の筆跡が異なるのはそのためであり、妹の身を案じながらも身代金受渡しの本番となる二日夜に佐野屋前へ立つことを頑なに拒んだ姉は、一日夜に受けた恐怖心がその原因とされる。なお二日の晩は姉の代わりに是非とも婦人警官を出動させて欲しいとの要請が姉=登美恵本人と父=栄作より警察へ伝えられている。
・・・・・・再審請求に対し絶望感に満ちたこの狭山事件のゆくえはまったく先が読めなくなっているところではあるが、再審=裁判のやり直しの制度の見直しに向けて法務省が法改正の検討を法制審議会に諮問したという事実に、ささやかな希望を見い出すことは出来るであろう。