アル中の脳内日記

アル中親父による一人雑談ブログ

狭山の黒い闇に触れる 1358

狭山事件公判調書第二審4119丁〜】

                  『自供調書に存する合理的疑い』

                                                                弁護人=山下益朗

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(五) 自供によれば自宅で四月二十八日に脅迫状を書いた、とあり、事実、脅迫状には「四月二十八日」と書かれている。しかしその日のうちに犯行を実行する決意もまたその準備計画もない者が、「四月二十八日に金を持ってこい」と書くのはいかにも不自然である。当局はこの問題をどう解決したか。

問:脅かしの手紙を書いた時は、四月二十八日夜十二時に金を持って来るように書いてあるが、四月二十八日にどこかの子供を連れ去る計画をしていたのか。

答:その手紙は四月二十八日に書いたもので、その日に子供を連れ去って金を取るという計画ではありません。

   適当な時期に子供を連れ去って金を脅かして取る時の手紙を考えて書きましたが、それはあとで書き直す心算でした。月日の数字と宛名を空けておいて、子供を連れ去った時、月日を書き込めばよかったのですが、そこまでは考えませんでした」

   ここまでくると狭山事件が堪(こら)えようのない、文字通りの噴飯ものであることが明らかとなってくる。なるほど月日はうっかりその日の月、日を書き込むということも万が一あり得ないことではないかも知れない。しかし宛名を「少時様」と書き込んだことまでは絶対に説明出来ないのである。なぜなら「四月二十八日」は石川君の頭に存在し得たとしても、「少時様」についてはあらゆる証拠が、石川君にとって当時この世のものでなかったことを示しているからである。狭山事件は冤罪であった。

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第三、以上は全自供調書にある合理的疑の数点にしか過ぎないものである。かつて石川青年を死刑に追いやった全自供調書は今や完全に、無実を立証するための武器として我々の手に与えられている。

   石川青年が、自らの社会的立場を深く自覚し、未解放部落完全解放のための運動に出会った時、初めて主体的人格者として、差別と斗い(注:1)、冤罪を晴らす、本当の意味での"被告人"の立場を獲得することが出来たのである。第一審における石川青年の姿は、そのまま差別に翻弄されたそれであった。しかし現在では無実にも関わらず彼を襲っている惨酷な死刑判決は、逆に石川青年を目覚めさせ、学習させ、広範な大衆を動員する起動力たらしめている。

   当審があらゆる予断と偏見を取り去り、基本的人権擁護の職責に深く思いを至され、短時日のうちに事案の真相を明らかにし、もって第一審の誤りをも含めて、その社会的責任を明らかにされるよう衷心から希望する次第であります。                                                     以上

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注:1 「斗い=たたかい」"斗"は"闘"の非公認略字であり、意味は"闘"とまったく同じである。

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   ○さて、気分転換に川越の某公園で開催されているフリーマーケットへ出かけてみた。途中、公園の主を見つけたので、そっと挨拶させていただく。

朝から盛大に爆睡中ゆえ、足裏へ指タッチで我慢する。

会場へ着くと天気は曇り模様であったが中々の盛況ぶりを見せていた。猫の安眠を優先をさせたご恩か、到着から五分後、この和やかな営みの中から老生好みの異様な紙片束を見つける。

手に取るとそれは透明なビニール袋に詰められた古い新聞及び切り抜き類であり、すべてオウム真理教の死刑執行に関する記事だけでまとめられている。その厚さは一センチ強はあろうか。値段を聞くと「・・・五百円」と囁かれ三秒で金を払いカバンに収める。

   世には奇特な方がいるものである。よりによってこんな新聞記事だけをスクラップし、なおかつ平和感全開のフリマでこれを販売しているのであるから・・・。それにもましてこれを見た時、目が三センチほど飛び出てしまった己れもまた奇特では済まされないのかも知れない。逃げるように入間川河川敷に移動し興奮を鎮めるためキリン=ハートランド(美味い瓶ビール)を飲み干し、戦利品の写真を撮る。

   家へ戻りさらに検品を進めると、切り取った新聞については手書きで日付が記されていた。これにより本日フリマにおいて五百円で購入した紙切れはその資料的価値を勘案すると、カルト事件の資料として五桁ぐらいの価値はあるのではないかとほくそ笑む。