○ここで、狭山事件におけるビニール風呂敷なる物証について整理しておこう。
被害者の遺体が発見された農道から約二十メートル離れた畑の中に、深さ三メートルほどの芋穴があった。芋穴は狭山地方の農産物であるサツマイモを貯蔵するための穴である。
この穴の底から、引き絞ぼられた状態のビニール風呂敷と、長さ九十四センチの棒きれが見つかる。ビニール風呂敷を広げると二つの角が切断されていて、この部分に相当する切れ端が、死体の足首を縛っていた木綿細引ひもにくっついて残っていたと、こういうことである。なお、ビニール風呂敷は善枝さんの自転車の前かごに入っていたものとされている。これらの情報を頭に入れ公判調書を読んでみたい。
【狭山事件公判調書第二審4112丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
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("3、ビニール風呂敷の説明の仕方"の続き)
六、ビニール風呂敷で足を縛ったことに関する自供は、警察と検察では大きくニュアンスを異にしていることを指摘する。
司員調書では「特別に丈夫なものを使わないと普通の縄では切れてしまうと思い(中略)ビニール風呂敷を使おうと思って縄(この時点ではまだ麻縄と言っていないことに注意せよ)につなぎ善枝ちゃんの足に巻いて強く引っ張ったら切れた」(六月二十八日付調書)、「私はビニール風呂敷は丈夫だろうと思って風呂敷を縄につないで足を縛ろうと思ったが縄(この時点ではまだ麻縄と言っていないことに注意せよ)につないで引っ張ってみたら風呂敷が切れた」(同調書)とあるが、右表現では、あたかもビニール風呂敷をまず縄につないで、そのあとビニール風呂敷で足を縛ったと読める。または、ビニール風呂敷で足を縛る前に、一応実験的にビニール風呂敷と縄をつないで引っ張ったら切れた、つまりビニール風呂敷では足を一度も縛ったことがないようにも読める。換言すれば死体の重さでビニールが切断したのではなく、単に木綿紐とビニールを結んで引っ張り実験をした際、切断したとも読める。つまり警察調書段階では、後記六月二十五日付調書にあるように、未だ縄にビニール風呂敷を足して使用したという発想の名残りが明らかである。ところが検面調書では「ビニール風呂敷を引き絞って縄のように丸め、それで善枝ちゃんの足首を縛り、ビニールの端を麻縄に結びましたが一寸引っ張ったらビニールが切れた」(七月七日付)となる。ここでは供述内容がいかにも整理されていることが明瞭であろう。しかし同一人の経験としては「強く引っ張ったら切れた」(警察)とか「一寸(ちょっと)引っ張ったら切れた」(検察官)というのは切断という点では一致していてもその内容は全く質的に異なった記憶であり、疑問の残るところである。
それにも増して疑問とされるのは、六月二十九日付司員調書の「穴ぐらのそばへ運ぶ時、私は善枝ちゃんの両足を開かないようにビニールの風呂敷で縛ったように思う」という供述が、その前日、六月二十八日付の「足に縛って強く引っ張ったら切れた」という供述とどういう風に結びつくのか全く説明するところがない。しかもそれから数日さらに遡ると「ビニール風呂敷は善枝ちゃんの足を縛る時に縄に足してつないで使ったが、切れてしまったのでポケットに入れておいた」(六月二十五日付司員)となる。
ビニール風呂敷についての調書の変遷は明らかに、石川自供がああでもない、こうでもないという推測に基づき徐々に整理され、当局の推定どおりに誘導されていく有様を如実に示している。
七、最後に証拠物の本体両角の切断線の歪の問題である。
まず証拠物件につき肉眼で切断線を見た場合、いわゆる塑性(plasticity)に当たる皺が全く見られないこと、多くのビニール風呂敷(市販)を前述した種々の方法により実験的に切断した場合の切断線の永久歪(厚さの減少)の測定値と、証拠物の切断線についてのマイクロメーターによる厚さの減少を測定し、これを対比してみた場合、証拠物件の厚さの減少が異常に低い数値を示していることが明らかとなっている。この状況に加えて前述二で指摘したような裂け目が引っ張り力の加わる以前からすでに存在していたとすれば、証拠物の如き結び目からの切断が起こり得ないという事実、証拠物の如き厚さを持ったビニール風呂敷は多くの実験例からも容易に切断される可能性のないこと、前記写真にみられる両角の双方破断は大野実況見分調書の説明による方法では全く見られない現象であること及び自供内容の不可解な変遷の事実を全部総合すると、ビニール風呂敷の使用方法ならびに破断に関する自供は全く架空のものと考えざるを得ないことになる。
(続く)