写真は、千葉刑務所の待合室で息子の一雄さんとの面会を待つ富造さん。石川富造さんは一九八五年十一月二十三日、第二次再審請求を待たずして亡くなった。
【狭山事件公判調書第二審4100丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
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第二、合理的疑の数点について
○動機の形成を第一審はどうみているか。
犯行の動機が、姦淫にあったのか、身代金要求にあったのか、またいずれにせよその"動機"なるものが如何なる時点で石川君の心の中に生まれたものか、これらの点に関し自供調書は大揺れに揺れ動いている。しかし私がここで問題とするのは、以上の諸点もさることながら、検察官が冒陳において、また判決がいうように、本件に対する決定的な動機が、石川君の父=富造に対する借財金十三万円の返済にあったという事実認定が全く誤りであること及び当時の石川青年には経済的逼迫(ひっぱく)が客観的にも主観的にも存在していなかったことを指摘することである。
○冒陳はどう言っているか。
「昭和三十七年四月頃から同年六月頃にかけてオートバイ二台(合計金十八万五千円)を月賦で購入して、これを他に売却あるいは入質したこと及び右オートバイの修理費が嵩(かさ)んだこと等から相当額の債務を負い、その結果父=富造より約十三万円を出してもらって右債務の支払いをなして解決したが、右十三万円は父=富造に何時かは返済しなければ申し訳ないと思っていた」とし、判決はこの点について、
「軽自動二輪車二台を代金合計十八万五千円で月賦で買い入れ、その修理費、ガソリン代の支払いを滞らせたり、月賦金を完済しない中に右軽自動二輪車を売却又は入質したことによる後始末のための負債が嵩んだため、……中略……父=富造から約十三万円を出してもらってその内金の支払いをし、……中略……身代金として現金二十万円を喝取した上、内十三万円を父=富造に渡し、残りの金を持って東京に逃げようと考えるに至った」(判決にはガソリン代が附加されている)と、それぞれ事実認定する。
さて、父=富造は果たしてオートバイ二台の諸経費に関し、石川君のため金十三万円を立替払いをしたことがあったか。否である。当審第十六回公判における証人、父=富造及び同六造の各証言によれば、立替払いの合計は多く見積もっても六万数千円でしかないことが明らかである。この父と兄の証言は真実か否か。真実である。昭和三十八年五月十三日付大野稔の司員及び同日付斉藤貞功の各司員調書によれば大野は、「石川さんは修理に来たようですが、その修理代もそのままになっている」とし、また右斉藤は「単車販売代金一部二万五千円もひっかけられ、また修理代金五千八百円も全然支払わず、ひっかけて居ります」(要略)と供述している。右供述によれば五月十三日時点では、石川本人、父及び兄を含めて車代金残二万五千円及び修理代を誰も支払っていないし、また誰も立替払いをしていないことが明らかとならざるを得ない。ということは「父=富造が十三万円を立替払いした」という認定は全く架空の事実だということである。
父=富造の証言の正しさは昭和三十八年六月一日付石川寅夫の司員調書の「私は合計七万円損したが石川仙吉さんのお骨折で全部弁償して頂いた」という供述によっても充分に裏付けされる。
金十三万円を親に立替えてもらったという判決認定事実は真赤なウソである。
ところで石川自供調書はこの点をどう説明しているか。昭和三十八年七月六日付青木、遠藤調書によれば「父に払ってもらった金はだいたい十三万円くらいで、内訳は修理代四万円、その他二万、車代七万円で、父に出してもらった金も返し、その他に自分で五万円くらい持って行けばよいと思い二十万と書いた」(要旨)、次いで七月七日付原検面(調書)で、初めて「ガソリン代」が出てくるが、金額は記載されていない。同調書ではさらに動機について「全部で十三万円くらいは父に迷惑をかけており、私が脅かしの手紙を書いて取ろうと考えたのも、父に迷惑をかけたその金を払ってやりたいと思ったからです」となっている。
説明するまでもなく、判決は当局の誘導による全く出鱈目の金十三万円を鵜呑みにし、捜査当局(は)これまた自作自演で幻の金十三万円をでっち上げたわけである。
(続く)