【狭山事件公判調書第二審4098丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
([3]"三人共犯の自供から単独犯行の自供への背景"の続き)
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以上検討した如く、犯人が複数であることについて確信に近い心証を持っていた捜査当局は、状況証拠だけ(見込捜査)で石川一雄君を逮捕し、犯人複数説で一件落着と見込んでいたに違いない。ところが本件にまったく関係のない石川が、一層複雑な共犯関係を説明できる道理がない。
逮捕後、約一ヶ月否認で真実を守り続けた石川君は再逮捕後、これまでの犯人複数説を押しつけようとする当局の強制誘導に屈服させられ、先ず強制通りに三人共犯を自供させられた。
捜査当局は自らの予断と誘導で「三人でやりました」と言わせてはみたものの、まったく関係のない石川青年がこれを説明出来ない以上、石川君を直ちに無罪釈放するか、あるいは彼に単独犯行を押しつけることしか残されていない。当局はこの単独犯行に一切を賭けようとした。それにも一応成功したとは言え、後から後から噴き上げてくる単独犯行自供に対する不安を隠し通すことが出来ない(これは前述の接見禁止解除請求に対する検察の意見に端的に表現されている)。だからこそ単独犯行自供後の六月二十八日付青木、遠藤調書中においてさえ、「問:埋めることを誰かに手伝ってもらったか」という供述記載となって表われたり、あるいは、いかにも改(あらた)まった調子で石川にわざわざ「善枝ちゃんを殺したり埋(い)けたりしたのは全部私が一人でやったのです。私の他に手伝ってくれたり相談相手になった人はありません」(七月六日付青木、長谷部調書)と三人共犯を打ち消させている。
これが起訴直前であることを考えてみた場合、当局の単独か複数かの揺れはまだまだおさまりきれていないと見るべきであると同時に、今さら三人共犯に戻ることの出来ない当局の窮状を、石川をして語らせたものと言えるであろう。
三人共犯を撤回した捜査当局はなりふり構わず単独犯行へと向けてここを先途(せんど)と突っ走る。たとえば一例ではあるが、七月四日付河本調書には「善枝ちゃんの死体が、もし縄でぐるぐる巻きに縛ってあったとしたらおかしいと思って、縄で縛られてないことは間違いないとつい本当の事を話してしまったのです」という供述記載があるが、これが前述六月十一日付河本調書で供述していることをいま(七月四日に)改めて確認するという形式になっていることが明らかである。
ところで六月十一日付調書は、検察官の「死体を埋めた場所まで運んだのはどうやって運んだのか」という問いに対する「自動車でなければ運べないでしょう。また私に云えることは死体が縛られていたはずはないということです」という答えの部分であり、三人共犯を前提とした問答となっている。ところが河本検察官はその一部分だけをつまみ食いして、都合がよいというだけで単独犯行裏付けのための自供として利用しているわけである。では「自動車でなければ運べない」という他の部分はいかなる理由で排除されたのかと反問したくもなる。検察官も多分運命を共にすべき供述全体を、一部を殺し、一部を生かす矛盾を感じ、"つい"という言葉で上手く誤魔化したというわけであろうが、第五回公判での関=証人の「善枝ちゃんが埋(い)かっていたのはどういう風になったんべと(石川が自分に)尋ねた。石川は実際の状況を思い出せない様子だった」という証言に照らしてみて、石川君が六月十一日の段階で、縄の状況について断定的に"つい"本当のことを言うことなど絶対にあり得ないことであった。正になりふり構わぬ当局の姑息な手口を自ら暴露した好例である。「つい」は検察官の労作に入るべきか。"つい"という言葉で表現するならば、右:関証言こそ、つい本当のことがあらわれたというべきであった。
以上検討したように三人共犯自供の真相は当局の確信的心証を単に石川君に押しつけたに過ぎないものであり、これに次ぐ単独犯自供も、すでに見た如く、犯人複数説の心証を拭いきれないまま、そこに逃げ込まざるを得なかった当局の、一人芝居による空中楼閣である。だからこそ、捜査当局自身「全部が真実とは思われない」と歎息して裁判所に助けを乞わねばならなかった。その証拠に石川単独犯行自供調書には枚挙にいとまがない程に「供述の細部に食い違い」「不明確な点」「細かい点を見落としたり記憶していない点」が生まれなければならなかった理由もここにあると言うべきであろう。次に自供調書の検討に移る。
(続く)