【狭山事件公判調書第二審4096丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
([3]"三人共犯の自供から単独犯行の自供への背景"の続き)
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ところで、石川君がなぜ三人共犯をとったかについてどのように弁解している(正しくは弁解させられているのかと書くべきであろう)であろうか。
わずかに六月二十三日付青木及び同遠藤調書二通の中で「今まで本当のことを言えなかったのは、お父っつぁんや家の者に心配をかけるから言えなかったのです」とか、さらに六月二十六日付同調書では「善枝さんの家へ届けた手紙は私が書いたということが分かっていても、私はどうしても言うことが出来ませんでした。書いたことが分かってからも兄ちゃんのタビを履いて行ったということが言えなかったので入曾の男とか入間の男とか言ったのです」とか、これに類似するものが二、三散見され(いずれも司員調書)、「お父っつぁん」のことや「兄ちゃんのタビを履いて行ったということがどうしても言えなかったので」犯人複数説をとったとある。つまりここでは、自分の身に全く関係のない事情で三人共犯を自供したという説明になっていることに注目しなければならない。
しかしこれだけでは、どう読んで見ても共犯を思い付いた説明にはなっていない。どこかに合理的説明が出てこなければならない筈である。実はもっともらしい弁解が河本検面調書として表れていることに気付くのである。
七月三日付、七月四日付及び七月七日付河本検面調書三通はいずれも同じ趣旨の弁解が記載されており、たとえば三日付では「三人でやったと言った訳は、やはり始めから一人でやった(の)とは罪の大きさを考えて言えなかった」とか「入曾の男が入間の男と三人でこの事件をやったと話してしまったのは、一人で全部をやったと言うと罪も重いし家族の者もがっかりすると思った」(七月四日付同検面調書)、「しかしやはり死刑になるのは嫌だから三人でやったと話した訳で、その後居もしない仲間の事を聞かれて隠しきれなくなり、ありのままのことを話した」(同七日付)という、もっともらしい弁解が遂に出てくる。
司員調書を除けば三人共犯についての弁解はすべて河本検面調書であるが、これは河本検察官が六月十一日付調書を意識したからであろう。つまり彼は、自ら三人共犯を押し付けておりながら、今度は手のひらを返したように単独犯行を押し付けようとする自分の姿に、いかにもバツの悪さを感じたに違いないのである。それはともかくとして、河本検面調書のやり方は例の、重刑を避けるためにありもしない共犯を引き込むという常套手段から、石川もまた決して例外ではあり得なかったということで、河本は自己の後ろめたさを解消しておかねばならなかったからである。いかにも見え透いたやり方と言わねばなるまい。
河本検察官の強制誘導による三人共犯でっち上げを更に無理強(じ)いしたのが清水利一の前記調書であるが、この清水の動きについては格段の注意を要する。
当審第九回公判で証人=長谷部は「清水が熊谷二重犯人逮捕事件の責任者であり、それで狭山についても途中から外した」という趣旨の証言をするが、後に提出の昭和三十八年七月十二日付週刊朝日に次のような記事が報道されている。
「シャベルが見つかった所だって前に何度も探した場所なのである。カバンが出た時も近くで働いていた三人の村人が駆けつけたが、すでに掘り出されたあとで、出てくるところは見ていない、捜査当局の作為があるのではないか。というのは、埼玉県警は二重逮捕をした不名誉な経歴がある。
昭和三十年大里郡江南村で神谷せつ子さん(当時十八才)が殺された事件である。容疑者吉沢徳次(当時二十七才)の公判中、水野慶次郎(当時三十二才)が真犯人として登場した。調べの結果、水野の自供が正しいと分かり、吉沢さんは一年も経ってから釈放され、結局水野は昭和三十二年に無期懲役の判決を受け、吉沢さんは十五万円の刑事補償をもらった。無実の吉沢さんが起訴された物証は(自供による)被害者の指輪だった。
死体を埋めたという場所をずっと後で見たら、そこに指輪が見つかった。吉沢さんが『せつ子さんの指輪を抜いてポケットに入れたが穴が開いていたため落とした』と自供したのにぴったり合うが、無実なのだからそんな自供がされるわけはない。警察が証拠をでっち上げないとしたら、ほかにどういう合理的説明があるだろうか」と。
この外された清水が問題のカバン発見に立ち会っているが、黒い霧を感ずるのは私一人ではないであろう。
(続く)
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○確かに、清水利一に対する黒い闇は誰が聞いてもそれを感じぜざるを得ないであろう。だがこの当時、その県警捜査一課警部=清水利一を狭山事件の捜査から外した警視=長谷部梅吉は、狭山事件における川越署分室の取調室で石川被告に「やったと言えば十年で出してやる」との約束をしつつ、のちに東京高裁の法廷で被告人自身から尋問を受けて「そんなことを言った覚えはありません」と否定するのだ。
熊谷二重逮捕事件は写真の書籍で読める。