【狭山事件公判調書第二審4092丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
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([2]捜査官の心証の続き)
このような状況の中で冤罪の被害者はどのような心理に陥るものであろうか。さすがに作家である平津和郎は著書「松川裁判」(二四〇頁)でそのことを的確に描き出している。
「世の中から隔離された取調室で、いつ娑婆に出してもらえるとも分からず、接見は禁止され会う人間と言えば取調官ばかり、というような状況の中で、取調官から脅されたり、賺(すか)されたり、またはおだてられたり泣き落とされたりしていると、取調官に対する畏怖心と共に、もしこの取調官の機嫌を害ねたらもう自分には社会に出て自由の空気を吸うことも出来ないのではないかという不安から媚びる気持ちが湧いて来る。つまり一口で言えば生殺与奪の権を取調官に握られてしまっていると思った瞬間、一種の迎合心が湧くのである。それは取調官に屈服した心理である。取調べの専門家である取調官は、追い詰められた被告がこのような弱い心理になっていくことをよく知っている。そこまで行けば被告は取調官の思いのままである」
前記一覧表から明らかなように、いわゆる単独犯行自供後は警察、検察入り乱れての、どこからどこまでが警察の捜査であるか、どの時点で検察官が事件の送付を受けたのか判断することさえ不可能な状況である。確かにこのような状況もあり得ないことではないかも知れない。しかし調書作成状況からはっきり見てとれることは、石川自供に対する捜査当局の動揺と、隠し切れぬ苦悩がそこにあるということである。捜査当局の石川自供に投げかけた不安と動揺は、次の点に明瞭に表れている。つまり本件起訴後約三十日を経過した八月二十日、石川君は本人自ら接見等禁止解除請求をなしたのに対し、検察官はつぎの如き意見を裁判所に申立てた。
「本件は事案重大且つ複雑であり、被告人は一応自白はしているが、第三者との接見により罪証隠滅をなす○(注:1)も十分である。又自白内容についても全部事実を述べたとは思われない点もあり、接見禁止の解除は現段階において不相当である」と。
結局、右解除は第一回公判終了後の九月四日に至り初めて認められたが、当面問題とすべきは、起訴後約一ヶ月を経過した時点においても、未だなお検察官自身が「自白内容についても全部真実を述べたとは思われない点がある」とその心証を述懐していることである。検察官のこのような心証はいかなる根拠によって生まれたものであるのか。そして検察官のこの不安と苦悩はいつの日か消え去ることができるのであろうか。石川君は第一審公判において、捜査段階での自供をさらに補強してはいないのだから、論理的にはこの心証は未だに検察官の中で生き続けていると考えることが合理的とならざるを得ないであろう。
「自白内容は全部が真実ではない」という主張を考えてみるに、その言わんとするところは、要するに自白内容は信頼し難いとか、大部分虚構の事実が含まれているとか、あるいは殺ったことは間違いないがどうも分からん、ということになるのであろうか。
どのように解せられるにしても、とどのつまりは、ここに端無くも石川自供内容の空中楼閣(注:2)であることを公訴官自身が認めたということにならざるを得ないのである。
(続く)
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注:1 「罪証隠滅をなす○」の丸印部分の文字は不鮮明であったため写真を添付しておく。
注:2 「空中楼閣(くうちゅうろうらく)」=空中に楼閣を築くような、土台のない事柄。架空の物事。
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○老生は今、公判調書を読みつつ、気分転換に数冊の本を併読している。その中の一冊は昭和五十四年一月、大阪市住吉区で発生した三菱銀行北畠支店「猟銃人質事件」である。
この凄惨な事件を今ここで詳細に語ろうとは思わないが、ただ一つだけ気になることがあった。それは身長百六十五センチ前後、年齢三十ぐらい、黒のチロルハットに濃い茶色のサングラス、黒いセーターの上に茶色いハーフコートを着用、左手に赤いナップザック、右手には上下二連のショットガンが握られ・・・・・・いや、それはどうでもよく、要は事件後、住吉警察署捜査本部が行なった、犯人=梅川昭美が居住していた大阪市住吉区長居町六の一〇四、「長居パーク」三〇三号室における家宅捜索時に判明した梅川の蔵書類である。
『一つ目の本棚にはニーチェ・フロイト・マキャベリ・十八史略・ヒトラー・スターリン・ムッソリーニ。二つ目の棚には大藪春彦・西村寿行・半村良・森村誠一ほか、月刊誌GUN=七十冊・月刊誌壮快=二十二冊・・・』
「まずい」「やばい」・・・これが老生の第一声であり今でも夜中に思い起こすことたびたびなのである。彼の蔵書中、月刊GUN及び大藪春彦に関してまったく趣味が共通しており、しかもこの頃はまだ中学生でありながら日々、現金輸送車襲撃計画を熱心に練るというまさに大藪病に脳を犯されていた。彼の作品を真似、枕の下には常にモデルガンのモーゼルhscを配置し、他にもコルト:ガバメント、同:パイソン、同:32オート、スミス・アンド・ウェッソン:44マグナム、FNブローニングM1910(これは月刊GUN誌のクイズに応募、見事に金賞に当たり入手)、お年玉をはたき購入したM-16A -1アサルトライフル等(いずれもすべてモデルガン)を押入れに配備するなど、危険極まりない子供であった。さらにはドイツ軍のプラモデル作りに没頭した関係上、ナチス・ドイツはカッコイイと密かに思ったりし、バカで情けないガキでもあった。
モデルガンを握りしめ現金輸送車襲撃を夢見るなど、共通点が豊富だったにも関わらず、梅川昭美と老生が選択した人生はまったく違っていった原因はなんだろうか、今もたまに考えるのである。