【狭山事件公判調書第二審4088丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
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[2]捜査官の心証
このことを明らかにするために、いわゆる自供調書の作成過程を先ず考えてみよう。
以上の作成経過からして明らかなことは、全調書七十五通(但し開示されたもののみ)の内、六十一通が何らかの点について本件(恐喝未遂を含む)の捜査のため作成されたものであり、別件のみに関する調書は司員十一通、検面三通、計十四通であるのに対し、本件については司員三十六通、検面二十五通に達し、本件捜査に関する調書作成の密度の高さは異様なものがあると言わねばならない。五月二十三日から本件犯行はもとより、そのアリバイについて取調べられているのであるから、実に石川青年は四十六日間にわたり、朝から晩まで善枝さん殺しについて責め立てられた事実を伺い知ることができると同時に、他面、捜査当局が被告人と殺しを結びつける、いわゆる事件の落着の悪さに、いかに動揺し、苦心惨憺(注:1)したかを物語っていると言わねばならず、起訴直前の七月七日、八日には検察官は七通の、八日に至っては一日の中に一挙に四通もの調書を作成せねばならなかった。(続く)
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注:1 「苦心惨憺(くしんさんたん)」=意味は、非常に苦労を重ねること、心を痛めて苦労すること。
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○弁護人=山下益朗の弁論に目を通すと、なるほど、捜査当局が事件とは無関係の者を犯罪者に仕立て上げるため様々な辻褄合わせに翻弄されていた様子がわかってくる。かなり客観的、つまり誰が見てもそうでしょうという見方であり、つい被告側に軸足を置きがちな老生は目から鱗が落ちた。
負の紆余曲折を経て、石川被告は犯行を認めるが、当時の取調官らは内心「やったのは本当にこの男か」との疑いを持ち捜査を続けた可能性が感じられる。
「やっていない」のに「やった」という者に対し、「いや、やったのはお前だ」と言いつつ「やったのは本当にコイツかな?」という図式は、なかなか厄介なやり取りである。裁判の判決の拠り所を、権威ある学者の鑑定書に求めるレベルの人間には到底理解不能な、人間の深い心理を分からぬ者ではこの狭山裁判を裁けないであろう。