【狭山事件公判調書第二審4086丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
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(第一、問題の提起"[1]判決書の立場"の続き)
第一審判決の以上の如き認定方法は次の三つの仮定の上に立っていると考えられる。第一は自白にはそもそも信憑力があるということ、第二に取調べの側において強制、拷問、誘導がなかったということ、第三に捜査に作意(さい)がなかったということ、この三つである。判決はこの三つの仮定を証明済みの定理として扱い、この三つの問題をまったく吟味していない。しかもこの定理は、判決が無責任な推測を働かすことを容認するための伏線として密かに準備されたものである。
そしてこの推測を判決は常に、捜査当局に有利に、被告人に不利に働かせている。なぜ被告人に有利に、捜査当局に不利に働かないのであろうか。それは第一審を通じて石川一雄が自白を維持したからであろうか、そうではない。そのことをまったく否定できないとしても、もっとも本質的な問題は、すでに指摘した、第一審が三つの仮定の吟味を怠り、仮定をあたかも証明済みの定理として使ったということにあると我々は考える。
その典型的な例として、判決は弁護人の、万年筆発見の経過に作為が介在するとの主張を退けるのに「捜査に手抜かりがあったこと、捜査の盲点となり看過されたのではないかと考えられる」と単なる推測によって合理的疑(原文ママ)を抹殺してしまうのであり、状況証拠(判決は状況証拠について「自白を離れても認めることのできる前記1乃至2の事実」---例えばスコップ、タオル及び手拭いを入手しうる地位にあった---というのであるが、果たして自白を離れても認めうる事実と言いうるであろうか。スコップを入手しうる地位にあったことは可能性ではあっても断じて事実ではない)の扱いについても「状況証拠だけでも自白を補強している」という。しかしこの立論は逆立しているのであって、むしろ重要なことは、かかる状況証拠が存在するとして、だからこそ、これに副(そ)う自供が強制、誘導によってでっち上げられたという、この問題の提起であろう。例えば、スコップを盗み得る地位(この地位を石川一雄に短絡することさえ不当であるが)は「盗みました」という自供によって初めて生きてくる。
本稿の趣旨は判決が単に言葉のあやで護摩化している「細部の食い違い」「見落とし」及び「不明確な点」「記憶違い」にこそ、自白の信憑力を根底から覆えすに足る事実を含んでいること、且つ、何故かかる細部の見落としが生じているのかについて、冤罪事件における自供はその性格からして、誘導を大筋のみに頼らざるを得ないということから、生まれるべくして生まれたものであることを明らかにしようとするものである。
たしかに第一審判決当時石川一雄君は、公判廷で自供が強制、拷問、誘導によってでっち上げられたことを未だ訴えていない時期であったから、第一審がこの点(任意性)について「強制、拷問、脅迫その他、供述の任意性を疑わしむるべき事実は毫も存しない」と主張しているのを一概に非難することは出来ないとしても、現段階においては、格別の重要さが与えられていると言わざるを得ない。
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次回、[2]"捜査官の心証"へと続く。
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○五点の写真は狭山事件特捜本部解散時の模様とのことである。これに添えられた情報は「昭和三十八年七月十七日配給」とだけあるが、同年七月九日に石川被告が浦和地検に起訴されていることからみて誤情報ではなかろうと思われる。
事件発生当初、捜査員の聞込みに対し、知らぬ存ぜぬという対応をとっていた地元の人々であるが、いわゆる部落から犯人が出たということで特捜本部の炊き出しや、様々な雑務を買って出て、地元民らは手のひらを返したような行動を見せたことは衆知の事実である。