【狭山事件公判調書第二審4085丁〜】
『自供調書に存する合理的疑い』
弁護人=山下益朗
*
第一、問題の提起
[1]判決書の立場
原審判決は自白の信憑力を論じた中で、次の如き判断を示している。
「本件自白の細部において、食い違いや不明瞭な点があり、あるいは状況の一部に触れていない箇所もあるが(中略)、被告人自身にも犯行に伴う精神的興奮、緊張状態が存在したと考えられ、被告人の供述の細部に食い違いや不明確な点などがあり、あるいは被告人自身、一部の細かい点を見落としたり記憶していなくても何ら不自然ではない」と。
実はこの細かい点の見落とし、細部の食い違い、不明確な点を、単に「被告人の精神的興奮」、「緊張状態」、「活潑な動作」という言葉のあやによって説明し片づけたところに重大な問題が潜んでいると、我々は考えている。
さらに判決は別の箇所では「被告人の自供部分はすべて犯行の重要部分」にあたっており、だから細かい点の食い違いなどは無視してよいのだもいう。しかし判決は犯行の「重要部分」が如何なる事実を指しているのか、他方「供述の細部」にある「食い違い」「不明確な点」「見落とし」「記憶違い」が如何なる事実を指すのか、まったく説明するところがないばかりでなく、何らの証拠もなく犯行事実全体を「重要なる部分」と「細部」に分け、その判定基準についてもまったく触れるところがない。
検討してみると、判決のいう「重要部分」が、実は石川一雄の逮捕、自供以前に、すでに捜査当局が客観的に知り得た事情およびその知り得た客観的事実から一般的に経験則上推測しうる事実を指しておることが明確であると共に、他方、判決のいう細かい点の見落とし、記憶違い、食い違いこそは、現に経験した者(真犯人)にしかよく知り得ない事実を指していること、したがって、現に経験した者の供述である限り、かかる見落とし、食い違いが決して起こり得ないものであることが明確となってくる。
捜査当局が石川一雄の逮捕、自供以前に知り得た状況を要約すると、
①脅迫状を入手していた。
②自転車荷掛ひもを発見していた。
③教科書類の存在とその発見場所を熟知していた。
④スコップを入手していた。
⑤被害者の当時所持していた遺留物を知り尽くしていた。したがって何が紛失されているかも知っていた。
⑥死体の埋没状況、したがって荒縄、木綿ひも、タオル、手拭い、ビニール風呂敷の存在とそれらが如何なる目的方法で犯行手段に供されたものであるかを経験則上、一般的に推測することができた。次に死体鑑定書を入手し、殺害方法を充分に研究していた。
すなわち、以上の事実関係によってだけでも、本件全犯行の輪郭を描くことは素人でさえ、ましてやベテラン捜査官にとっては、いとも容易なことであったに違いない。例えば後に提出の昭和三十八年五月二十四日付朝日新聞は、特捜本部の見解として「スコップについて犯行後善枝さんの自宅へ脅迫状と自転車を届けた帰りにスコップを持出し、死体を埋めるのに使ったのではないか」と報道しているが、その推測どおりに自白がなされているのがその例である。
要するに、判決が自供によって明らかになったという「犯行の重要部分」は、なにも自供を待つまでもなく、実は被告人の逮捕、自供以前にすでに当局が知り尽くしていた部分にあたっているのである。
ところで判決は、さらに論を進めて、「自供を裏付けるに足る状況証拠は枚挙にいとまがないほど存在する」ばかりか「万年筆、鞄、時計は自供によって発見されているではないか」として、結局自白に信憑力ありと断定する。
(続く)