【狭山事件公判調書第二審4078丁〜】
『自白強要、屈伏への経過』③
弁護人=阿形旨通
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四、しかしながら、本件すなわち強盗強姦殺人、死体遺棄、恐喝未遂の容疑で追及されているということとは全く別に、また、第一次逮捕にかかる窃盗などの被疑事実とも別に、石川被告にとってはこれらに勝る非常に気がかりで気の重い事実があった。昭和三十七年終わり頃、石川被告、石田登利造、北田収(以上三名実行行為者)、北田ひろし、斉藤某、某(以上四名共謀のみの者)の七名によるジョンソン基地からのパイプ窃盗である(被告人供述。第二審第三回公判)。
六月十四日、勾留理由開示公判が六月十八日午後一時に開かれることが指定され、六月十五日、中田弁護人が石川被告に接見してそのことを伝えてあった(中田直人証言。第二審第六十一回公判)。
石川被告は、狭山署で竹内署長と関巡査部長の両名から取調べを受けた際、十八日に裁判所へ行った時にはこのジョンソン基地での窃盗の件を話そうと決意し、「三人で悪いことをやったことを裁判所へ行ったら話す。その時まで待ってください」と約束した(被告人供述。第二審第二回公判)。
なお、竹内、関の石川被告面会取調べの時期と回数について、石川被告によれば二回はあったのであるが、竹内証人はあくまで一回だと強調し、六月十二、三日頃だという。しかし、関刑事が長谷部、遠藤刑事らと共同して石川被告に三人共犯説の自白を押しつけたその切り込みの手口がまさに「署長に、三人でやったことを聞きに行ってこい、と言われて来た」、「署長と狭山にいるとき約束したが、それは何だ、善枝ちゃんのことだろう。三人というのはおかしいじゃないか、その三人を話せ。われわれを甘く見たらいかんぞ」などという脅迫、強要なのであった(被告人供述。第二審第二回公判)。竹内証人らが極力証言を回避する動機は明らかである。
このパイプ窃盗については、石川被告は「それだけはなるべく話すまい、話すまいと思っていた。」(善枝ちゃん殺しについては)「自分は無実ですぐ出られると思っていたから、出たら(パイプ窃盗について自白していたとあらば)登利造がおっかないから」、「自分の近所で登利造といったら知らない者はないですよ。ものすごくおっかないですからね」というのである(被告人供述。第二審第六十六回公判)。
(続く)
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○司法解剖の結果から、殺された被害者に残された体液はB型とされ、したがって犯人はB型の血液型を保有する者として警察による捜査は開始された。当初、その常套手段である聞込み捜査は狭山市内を中心に偏りなく行なわれてはいたが、間もなくその捜査対象にバイアスがかかり、その矛先は石田養豚場へと向けられた。
捜査員の聞込みに対する、特に被害者が居住していた地区、地域の地元民の反応は芳しくなく、それは当時の日本の農村地方に顕著だった古くからの地縁・血縁がもたらす世間の人に対する体面・体裁を危惧する心理が働いたからであった。このような状況から派生した「よそ者の仕業」「あの養豚場の連中が怪しい」という根拠のない情報が捜査員にもたらされ、これらの風評に捜査当局は飲まれていったと、この辺りが捜査対象にバイアスがかかった起点であり、事件捜査が誤った方向へ向かっていった根源と考えられないだろうか。
誰が言い出したか分からぬが、何の根拠もなく 「よそ者の仕業」「養豚場に出入りする者」が怪しいという見方は、ある冤罪事件を思い起こされる。
昭和二十九年静岡県島田市で起きた「島田事件」では犯人として精神薄弱者の赤堀政夫が逮捕された。この事件においては、どうしても犯人を挙げねばならぬ窮地に陥った警察はあらゆる違法を犯して精神障害者を徹底的に悪用し犯人を作りあげた。つまりこの事件では根拠なく「精神薄弱者」が怪しいという見方で捜査を進行していったわけである。
じっくりと冤罪事件を観察すると、どうやら捜査する側には独特の考え方の癖が存在することが見受けられる。
平成元年、島田事件は無罪判決が確定した。