【狭山事件公判調書第二審4071丁〜】
自白論 その(1) 『鞄・万年筆・腕時計と自白』
弁護人=宮沢祥夫
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(第三・『時計』の続き)
四、『被害品とされる時計は被害者のものであるかについては重大な疑惑がある』
(一) 五月八日付で警察の出した「特別重要品触」と証拠物の時計の側番号は明らかに食い違っている。当審第四十八回公判における梅沢茂証言は、上司からの指示によって「特別重要品触」を作成した旨供述しており、捜査当局の確信に基づいた品触であったのである。しかし、その側番号は被害品とされる時計の側番号と違っているが、検察官も争わず原判決もそのように認定している。原審証人:中田健治、中田登美恵は証拠物の時計が被害者のものであると確認している。しかし、それは外見を主とするものであって、ガラスの傷がなかったことを認めており、品触が側番号と違うものであるという認識はなかったのであり、捜査当局が知った品触側番号と違う時計であったという疑惑を解明出来ていない現段階ではこの証言の信用性と共に被告人の自白そのものの疑問が残るのである。
(二) 当審第四十六回公判において鈴木章は時計についても捜査しており、保証書についても捜査している旨供述している。しかし保証書は提出されておらず、且つ、その製造元についての捜査も明らかになっていないのである。
特に被害者の姉中田登美恵の所持する時計との区別は明確にされていないところである。時計は側番号により特定されるのであり、その特定されるべき側番号と被害品とされる時計の側番号が違うことを併せ考えてみれば果たして被害品の時計であるかは大きな疑惑として残されているのである。
(三) かくして当時捜査当局は被害品とは別箇の時計を準備しておいて「現場」を捜索したり、付近の聞込みをした形跡をつくり、その結果未だ発見出来ないでいるという雰囲気をつくり出しておいて、既に発見されていた時計を茶株の朽葉の混じった土面に尾錠だけをのぞかせるという方法で放置させて、小川老人に発見させたものと見ることも出来るのである。
〈おわりに〉
鞄・万年筆・時計の発見過程を巡る疑惑の数々を指摘し、それが被告人の自白とは関連性がなく、作為されたものであることを明らかにしてきた。そして注目しなければならないことは、鞄・万年筆発見過程における関源三の存在であり、万年筆・時計発見における警察の捜査方法との関連であり、また証拠物の発見後、被告人の自供を誘導していることである。特に被告人の供述を誘導する過程を見るならば、捜査が別件再逮捕により密室において行なわれたことであり、その密室の中において、被告人の頭髪を引っ張る等、強圧的態度を以って自白を迫り、ポリグラフを使用し、偽狭山市長・偽弁護士を登場させて被告人と面接して自白を強要し、さらには自白をすれば十年により釈放されると誘導する一方、弁護人不信を被告人に醸成させて、被告人と知り合いの関源三巡査部長を使って懐柔して自白への道を辿らせていることである。そうして、狭山市に生まれ育って土地の事情に詳しい被告人に対して物証を準備して、その発見場所との関係で自白を誘導することは、被告人が当時きわめて無知であり、関源三を通じて警察への信頼を持っている状況の中で、極めて容易(たやす)いことであったのである。それは前記:中田主任弁護人と被告人との尋問の経過を見れば充分に理解出来るところである。
被告人の自白の任意性、さらにはその信憑性を明らかにするために、当審においては鞄・万年筆・時計についてさらに審理を深めて被告人の無実を明らかにする必要がある。
以上をもって弁護人の更新弁論とする。
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弁護人=宮沢祥夫の弁論は以上である。
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○ところで、六月二十四日との日付が確認できるこの写真は、石川被告による取調べ調書の添付図面であるが、彼が書いた時計の形状の図がかなりデフォルメされ描かれているということはさておき、ここでは図の説明文として書かれている石川被告の文字に着目したい。
「とたとけい」この図が取調調書の添付図という関係上、その意味するところは「盗った時計」であろうことは明らかである。問題は「盗った」という文字中に、促音である「っ」が表現されていない点だ。石川被告が逮捕された時の年令は二十四才であるが、この年令にして促音を表記出来ないとは識字能力が低すぎる。
次に時計の革バンドを指す「くろかわ」という文字。写真では左右にその文字が確認出来るが、右側の文字は「くろかわ」と書かれ、左側の文字は「くろかは」と書かれている。石川被告にとって「わ」と「は」の違いなど、大した問題ではなかったのだろう。
彼は自分の名前である「一雄」という漢字が書けず「一夫」という字を用いていたことからも、やはり識字能力が劣っていたことがうかがわれる。そしてさらに言えば、まわりに比べ自身の識字能力が低いという自覚すらなかったとも言えよう。
下の写真は被害者宅に届けられた脅迫状である。脅迫を円滑に行なうため何者かによって書かれたこの手紙は、必要な情報(要求)を正確に伝達しており、意識的に挿入したと思われる当て字すらこの手紙の筆者が高い識字能力を持った者と推察できる。つまり、当て字をも含んだ上でこの脅迫状は完成度が高いのである。
撥音・拗音・促音・長音・静音・濁音・半濁音、ほぼ正確に使用している上、強調する部分は拡大文字で表現するなど、読み手側が受ける印象までも計算された中々高度な文面である。
狭山事件の判決によると、この脅迫状は石川被告が書いたとされているが、どう見てもこの脅迫状の筆者は別人物であろう。なにしろ「とたとけい」である。まったく意味がつかめず、何度か読み直さねばこれは通じない。彼の独特な表現は他にも「にさ」=「兄さん」や「けいさつしよちようどの」=「警察署長殿」などがあり、脅迫状に見られるような一読して理解できる表記は少ないのである。